浜松レース場 岡谷美由紀
クールビューティー 冷静な判断と華麗な走りでファンを魅了だ
岡谷美由紀(おかや みゆき)(1)1984年10月14日(2)161cm(3)47キロ(4)A型(5)長野県諏訪市(6)スピードスケート(7)製造業(8)女性レーサーの募集告知を見て(9)1回目(10)(嬉)家族や友達から手紙が届いたこと(11)5回(12)サバサバして男っぽい(13)手先が器用なこと(14)ドライブ・ツーリング(15)父親(16)たくさんいる(17)実力でも注目され、ファンに愛される選手
岡谷美由紀(おかや みゆき)(1)1984年10月14日(2)161cm(3)47キロ(4)A型(5)長野県諏訪市(6)スピードスケート(7)製造業(8)女性レーサーの募集告知を見て(9)1回目(10)(嬉)家族や友達から手紙が届いたこと(11)5回(12)サバサバして男っぽい(13)手先が器用なこと(14)ドライブ・ツーリング(15)父親(16)たくさんいる(17)実力でも注目され、ファンに愛される選手
 5人の女子の中でも、ひときわ冷静沈着な岡谷美由紀(28)=浜松=はダンディーな香りを漂わせている。女性なのにダンディーと言うのもおかしいが、余計なことは話さずキリっとしていてスマートなたたずまい。なぜか男っぽさを感じさせてしまう。そう、今風にいうと「クールビューティー」。それでも「家族や友達からの手紙がすごい支えになりました。励みになって嬉しかった」と、笑う姿はキュートな女の子だ。

 高校時代はスピードスケートでインターハイ3位、国体2位に輝く実績を挙げた。その後、就職したが「平凡な生活が物足りなかった。もう一度、レースをしたかった」と、スケートを辞めてから生きがいを失っていた彼女に光りを与えたのがオートレースだった。競走でしか得られない高揚感、達成感を味わいたかった。「直感的にこれだって思いました」と運命に導かれていく。      

 だが、岡谷がオートを知った時に女子の募集はなかった。「前々からなりたかったが、男子の募集しかなかったのであきらめていました。でも、坂井宏朱さんの事故で女性レーサーがいることを知りました」。悲しい出来事がきっかけとなり怖さもあったが、希望もあった。自分に対する期待と、生死をかけてもこの道を進みたいと思った。これも運命なのかもしれない。

 前職は製造業に携わり、機械の組み立てや設計をしていた。その経験はエンジン整備の面で役立っている。オートのエンジンはパワーがなければもちろん、落車したら最低でもオーバーホールをしなければならない。その点で機械の仕組みも熟知しているため、作業が正確で早いのだ。速くなるためにはエンジンを仕上げるのが一番の近道。すでにアドバンテージはもっている。               

 「女性というだけでなく実力でも注目されたい。そしてファンの方に愛される選手になりたいです」。アイスリンクからアスファルトへ。クールに美しくオーバルコースを華麗に舞う。

浜松レース場 岸萌水

目指せ、ナンバー1 最年少女子は男子に劣らない負けん気が武器

岸萌水(きし もえみ)(1)1994年6月29日(2)153cm(3)49キロ(4)B型(5)兵庫県明石市(6)モトクロス(7)高校生(8)先輩だった31期の佐藤摩弥選手を観て(9)1回目(嬉しかった)(10)特になし(11)1回(12)ちょっと人見知り(13)特になし(14)水泳(15)家族(16)佐藤摩弥選手(17)自分を見て「オートレーサーになりたい」と思ってもらえるような選手
岸萌水(きし もえみ)(1)1994年6月29日(2)153cm(3)49キロ(4)B型(5)兵庫県明石市(6)モトクロス(7)高校生(8)先輩だった31期の佐藤摩弥選手を観て(9)1回目(嬉しかった)(10)特になし(11)1回(12)ちょっと人見知り(13)特になし(14)水泳(15)家族(16)佐藤摩弥選手(17)自分を見て「オートレーサーになりたい」と思ってもらえるような選手
 「佐藤摩弥さんの存在があったから、オートレースに挑戦を決めました」と岸萌水(19)=浜松=は語る。岸は同期の益春菜や佐藤とレディースモトクロスで切磋琢磨してきた仲間だ。44年ぶりにオートレースに出場した女性レーサー佐藤の後を追うように、オートレースの募集を知ると「今しかない」と応募した。念願の合格を知ると高校を中退しオートレースに専念する道を迷わず選んだ。

 岸は9才からモトクロスに乗り始め、レースの世界に身を置いてきた。「飛べないジャンプが飛べるようになる。そんなふうにできなかったことが出来るようになるために頑張って練習して、何度もトライするのが楽しかった」と語る。その向上心は、今、オートレースに向けられている。

 「モトクロスでは父が整備してくれていたんです。生意気に父親がうるさいなって思っていたこともあった。でも、今はものすごく反省しています。父が一生懸命に整備してくれたから、自分は好きなレースが出来ていたんだって…。ここでは自分で整備をしなければならない。ものすごく大変で難しい。今更だけど、親に感謝するようになりました。父への感謝を込めてできることを増やして成長したい」と学び続けている。

 更に高校を中退したが、プロレーサーとして稼げるようになったら「高校も通信教育で卒業して、出来れば大学にも行きたい」と意欲的にな学ぶ姿勢は筋金入りだ。厳しい訓練も「自分が人見知りで、人付き合いがうまくできないことに気が付きました。でも、ここでいろいろなことを教えてもらって社会人になる心構えが出来ました」と前向きだ。
教官からフォームを褒められたと嬉しそうに語る岸は「自分のいいところを伸ばして、悪いところを直して、誰にも負けないくらい速くなる」と誓う。佐藤選手を見て私がオートレーサーに憧れたように、自分を見てオートレースをやりたいと思ってもらえるような選手になりたい」と夢見ている。決して歩みを止めない岸は頂点を目指し成長し続けている。

浜松レース場 鈴木宏和

小さな巨人が大きく飛翔 体格のコンプレックスをぶっ飛ばせ

鈴木宏和(すずき ひろかず)(1)1987年1月31日(2)152cm(3)47キロ(4)O型(5)愛知県豊橋市(6)テニス(7)自動車製造(8)小さい体を活かせると思ったから(9)1回目(絶対速くなってやる)(10)(嬉)誕生日に32期全員から寄せ書きがもらえたこと(辛)押し掛け練習(11)2回(ケガは1回)(12)ポジティブ(13)32期の絆(14)車の板金修理(15)両親(16)まだ分かりません。(17)子どもが憧れる選手
鈴木宏和(すずき ひろかず)(1)1987年1月31日(2)152cm(3)47キロ(4)O型(5)愛知県豊橋市(6)テニス(7)自動車製造(8)小さい体を活かせると思ったから(9)1回目(絶対速くなってやる)(10)(嬉)誕生日に32期全員から寄せ書きがもらえたこと(辛)押し掛け練習(11)2回(ケガは1回)(12)ポジティブ(13)32期の絆(14)車の板金修理(15)両親(16)まだ分かりません。(17)子どもが憧れる選手
 その存在感はとてつもなく大きい。

 面倒見が良くて兄貴分タイプの鈴木宏和(26)=浜松=は、体格のハンディを利点に変えようとしている。5人の女子がいる32期生の中でも最軽量の152cm、47kg。「モータースポーツが好きだったので、コンプレックスがプラスになるレーサーになりたかった」。オートレースは同じ排気量のエンジンで戦うモータースポーツ(1級車は600CC、新人は2級車で500CC)。部品を加工してのボアアップや改良はできない。となれば、体重は軽い方がエンジンの能力を発揮しやすく推進力は増す。さらに空気抵抗を考えれば、体格が小さい方が有利に働くのは自明の理。レーサーは格好の職業だ。

 オートは左回りのオーバルコースでバトルする競技。コーナリングは左足の底を走路に滑らせて回るライディングが基本で、左足にはブーツの下に、鉄のスリッパを履いて安定性を図っている。養成所では1日中練習走行をするため、その鉄スリッパは摩擦の熱で反り返ってしまう。そこで登場するのが板金職人の鈴木だ。スズキ自動車の製造をしていただけあって修理はお手の物。頼ってくる同期の反り返ったスリッパを真っすぐに伸ばして修正している。もちろんエンジン整備も抜かりはない。教官からも「器用でソツがない」と太鼓判を押されている。

 浜松は女子が2人配属されるため、注目はどうしてもそちらに集まるだろう。「2人のオマケにならないように頑張ります」と控えめな姿勢だが、内心はかなり燃えているはず。コンプレックスは時として人間力を豊かにし、大きなバネとなって飛躍するきっかけとなることがある。鈴木の性格なら必ずや、大きく飛翔し大成するはずだ。  

 「自分は人と違うところを目指したい。見てる人を楽しませる工夫や、ファンサービスをどんどん考えて実行していきたい」。アイデアも豊富に持っているミクロマン。小さな巨人が大きな一歩を踏み出す。

浜松レース場 中村友和

出発進行!発車オーライ! 車掌業務と同様に的確にさばく

中村友和(なかむら ともかず)(1)1989年8月7日(2)160cm(3)53キロ(4)A型(5)静岡県浜松市(6)野球(7)車掌(8)祖父にレース場に連れられて(9)1回目(メチャクチャ嬉しかった)(10)(嬉)自分のバイクをもらったこと(辛)フロントのシャフトを壊したこと(11)1回(ケガなし)(12)一点集中(13)忍耐力(14)サッカー(15)両親(16)浦田信輔選手(17)いつでも全力で最後まで諦めない選手
中村友和(なかむら ともかず)(1)1989年8月7日(2)160cm(3)53キロ(4)A型(5)静岡県浜松市(6)野球(7)車掌(8)祖父にレース場に連れられて(9)1回目(メチャクチャ嬉しかった)(10)(嬉)自分のバイクをもらったこと(辛)フロントのシャフトを壊したこと(11)1回(ケガなし)(12)一点集中(13)忍耐力(14)サッカー(15)両親(16)浦田信輔選手(17)いつでも全力で最後まで諦めない選手
 「人生一度きりしかないので、やってみたかった」。

 そう、誰しもが一度はそんな思いを持ちながら、あと一歩が踏み出せず結局は現状を維持してしまうもの。だが、中村友和(23)=浜松=は「だったら、いつやるか?今でしょ!」とばかりにJR東海の安定した職業をなげうって、厳しいプロの世界に飛び込んできた。車掌業務をしていたが「祖父にオート場に連れて行ってもらい、一発でかっこいいと思った」と、試験を受けたら一発合格。まるでレールが敷かれていたかのような転身で、まさに人生はバラ色だ。

 しかし、オートの世界はそんなにあまくなかった。フロントタイヤの交換の時にハンマーでたたいたらシャフトを壊す大失態。もちろん教官から大目玉を食らったが、それ以来32期生の怒られ役という立場になってしまった。その後にまた大型レンチ(工具の一種)を破壊する暴挙に。教官からも「レンチを壊したやつは初めてだ」と、破壊王のレッテルを貼られる始末。スタート訓練をすればフロントタイヤを持ち上げるウイリー状態から、さらに浮き上がって1回転しまう危険な落車をするなど大苦戦。「1回目の時は浮いたけどそのまま行けたから、またアクセルを緩めずに行ったらバックドロップしちゃいました」とニッコリ。危険極まりないのに、あっけらかんとしている。まるで、「スチュワーデス物語」の堀ちえみを見ているかのよう。ドジでのろまなカメの訓練生が、最後は立派に巣立っていく物語だが、中村は無事に羽ばたけるのか。ハラハラドキドキさせてくれる存在だ。

 「接客業をやっていたので、いろんなアイデアを出してファンサービスをたくさんしていきたい」と、プロとして集客も考えている。

 憧れの選手は浦田信輔。最高峰のSS王座決定戦で6車抜きを演じたスーパースターだ。「浦田選手はいつでも追い上げてくるからすごい。自分も車券を買っていたので、最後まであきらめない走りでファンにアピールしたい」。

 豪腕をうねらせ、そこのけそこのけ破壊王が通る。
★プロフィール
(1)生年月日(2)身長(3)体重(4)血液型(5)出身地(6)学生時代に取り組んでいたこと&スポーツ(7)養成所に入る前の職業(8)選手を目指したきっかけ(オートレースとの出会い)(9)候補生丹生署試験は何回で合格したか。(その時の気持ち)(10)養成所でのヱピソード(嬉しかったこと、辛かったこと)(11)落車の回数(その時のケガ)(12)自分の正確(13)自慢できること(14)趣味・特技(15)尊敬する人物(その理由)(16)憧れの選手(その理由)(17)理想の選手像