(第636回)
 オリンピックを見ながらモータースポーツのことを考えたので、そのことを書こうと思う。

 両者を比べるということはよしとしないが、純粋にファンとしてみるとオリンピックの(TV)観戦には力が入るが、F1グランプリをはじめとするモータースポーツの観戦にはどうも力が入らない。それどころかしらけ気味だ。その違いは何だろう?

 そこにスポーツの形態の違いがあることは承知している。オリンピックは選手の肉体の勝負だ。選手の体の動き、時には筋肉の動きまで明確に分かる。そしてオリンピックで争われる競技は誰もが学生時代に経験したスポーツ(体育?)の延長線上にある。自分でもやれる、自分ならやれる、という感情を移入できるスポーツだから、応援していても勢い力が入る。

 加えてオリンピックは国家単位の競争。戦うのは個々の選手だが、彼らには国という記号が保護するように付いている。同じ記号を背負う我々が彼らと同化しやすいのは当然だ。そしてTV中継は生中継が基本であり、画面の向こう側で戦う選手にアナウンサーや解説者と同じ目線で応援ができる。これで盛り上がらなければウソだ。

 モータースポーツ、ここではF1を例に取るが、それはオリンピックと真逆の位置にある。選手(ドライバー)の動きは見ている我々には伝わらない。ヘルメットをかぶれば日本人もイギリス人も判別がつかない。選手の苦悩や歯ぎしりが生で伝わらない点はモータースポーツの大きなマイナス点だ。TV中継の解説も素人にはさっぱり分からない独りよがり。目の前で展開されるドラマの神髄は伝わらないし、感動は伝わってこない。

 そして、これが最も大きな要素だと思うが、日本人が応援する日本という記号が見えてこない。小林可夢偉という日本人の存在はあるが、その小林が日本では認知度が低い。もしトヨタがF1から撤退せず小林を走らせていれば、大きな日本という意識のなかで小林という1人の日本人の存在感を増す力が働いていたはず。しかし、それは残念ながらかなえられなかった。

 もちろん小林に責任はないし、彼は奮闘している。その奮闘が伝わらない点が問題なのだ。この状況を打開するにはどうすればいいか? オリンピックを振り返って考えてみるのも必要なことかもしれない。どこかに答えが隠れているかもしれない。(モータースポーツジャーナリスト)