(第640回)
 シド・ワトキンス博士(12日に84歳で死去)といえば、英国では著名な脳外科医だった。そのワトキンス博士にバーニー・エクレストンが声をかけ、1978年にF1グランプリの世界に引きずり込んだ。F1ドクターの誕生で、これがモータースポーツの安全向上の引き金になった。

 ワトキンス博士自身、ガレージオーナーの息子に生まれ、クルマとの接点は生まれたときからあったのだが、亡くなるまでモータースポーツの最前線で安全に対して尽力することになろうとは本人も予想つかなかったはず。しかし、彼は救いを求める人に救いの手を出すことを、神から与えられた使命と考え、モータースポーツでドライバーや関係者が亡くなったりけがをすることに対して最大限の力を持って立ち向かった。晩年はF1グランプリに限らず、モータースポーツ全般の安全推進に力を入れ、FIA安全機関の代表として働いた。

 ワトキンス博士の姿が一般の大衆の目に強く焼き付けられたのは、1994年5月1日のサンマリノGPだろう。ヘリコプターのカメラから放映されたアイルトン・セナの事故で、セナに寄り添っていたワトキンス博士の姿は、献身する者の偉大な姿を世界中に知らしめた。もちろん彼は相手によって献身の気持ちを変えることはなく、セナの事故死の前日に亡くなったローランド・ラッツェンバーガーの事故に対してもこん身の介護をした。02年のオーストリアGPで佐藤琢磨のジョーダンが事故にあったときにも琢磨に寄り添った。「グランプリ・ドライバーの誰もがワトキンス博士に世話になっている」と、デビッド・クルサードは振り返る。

 私の個人的な印象は、大変に成熟した大人という感じを受けたことだ。あちこちのグランプリでサーキットから帰ったホテルのバーでワトキンス博士から教わった人間の生き方は、多分今の私を作り上げる貴重な要因になっているのではないかと考えることができる。こんなときにはこう答えるのだよ、と彼は言葉にしないで教えてくれた。

 彼に接した人は、彼がいなくなって初めてモータースポーツの安全が彼の力で大きく推し進められたことを知るだろう。そして、彼はいなくなったが彼が残した安全の実践と心構えは、今も未来も伝えられていくはずだ。

 ホテルのジムで葉巻をくわえて自転車を漕ぎ、汗をふく時間も惜しんでウイスキーグラスを傾けていた彼に、私は健康の極致を見たように感じた。私があきれた表情をすると、「医者は自分の体を一番よく知っている」と一笑に付された。私はワトキンス博士に健康より人生を教わったと思っている。(モータースポーツジャーナリスト)