(第641回)
 先週行われたF1日本GPで小林可夢偉が3位に入り、鈴鹿サーキットは大いに盛り上がった。可夢偉も初の表彰台が母国日本グランプリということで、感慨もひとしおだったのではないか。ザウバー入りして3年目。これまでも高い実力は見せながらチャンスをつかめなかっただけに本当にうれしかったはずだ。

 しかしなぜ可夢偉はこれほど長い間表彰台を待たなければならなかったのか。これまでの日本人ドライバーとは一味違う優れた才能を持ったドライバーといわれながらなぜ表彰台に立つまでに3年近くかかったのか? クルマが悪かった、予選が悪かった、スタートに失敗した、事故に巻き込まれた、運が悪かった…ということが理由で表彰台に立てなかったのだろうか? 恐らく小林はその理由を知っているはずだ。ゆえに時にはクルマの性能不足を嘆くし、スタートの失敗を自責することもある。だが、3年といえば60レース近くの時間があったはずだ。その長い時間、小林は表彰台に立てなかった。

 私は、可夢偉は彼を取り巻く声にじゅうりんされていたのではないかと思う。優秀だから速くなくてはならない。クルマの性能が低いから遅くても仕方ない。あれやこれや…。こうした外野の声にじゅうりんされたのだろう。それはどんなドライバーでも陥るわなだ。一度はトップに立ったドライバーでも、小さなつまずきを指弾され足踏みしてしまう。可夢偉のように上り坂にある若手ならなおさらナーバスになるのではないか。

 可夢偉からは精神的な弱さはうかがえないが、精神が鋼のような人間はこの世に存在しない。彼は我々の知らぬところで悩み、嘆き、苦しんだはずだ。それが普通の人間の姿であり、可夢偉とて例外ではないはずだ。そしてこれまでの苦悩が深ければ深いほど、日本GPの表彰台が持つ意味は我々が考えるよりはるかに大きなものであったといえるだろう。そして、可夢偉は日本GPの表彰台を、彼のF1ドライバーとしての真のスタート地点と認識しているはずである。彼の旅路は始まったばかりだ。(モータースポーツジャーナリスト)