デンソー60周年特別コラム(1)
第1回鈴鹿8耐を制したヨシムラ、ウェス・クーリー(鈴鹿サーキット提供)
第1回鈴鹿8耐を制したヨシムラ、ウェス・クーリー(鈴鹿サーキット提供)
 1978年、第1回鈴鹿8時間耐久ロードレースが三重県鈴鹿サーキットで開催された。

 当時欧州の世界耐久レースで無敵を誇ったホンダRCBの日本凱旋に注目が集まっていた。ホンダのための舞台だったはずだが、優勝したのはヨシムラのスズキGSを駆る米国のウェス・クーリー/マイク・ボールドウィン組。巨大企業のホンダに戦いを挑み、勝利した町工場・ヨシムラの戦いは、劇的なドラマとして鈴鹿8耐の歴史に刻まれることになる。

 この戦いがあったからこそ、鈴鹿8耐は、今も熱狂的なファンを集める大イベントになった。さらにエンジンチューニングにおいて神の手を持つ男と言われたヨシムラ創業者・吉村秀雄の名が全国区となり知れ渡ることになる。

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ウェス・クーリーの走り(鈴鹿サーキット提供)
ウェス・クーリーの走り(鈴鹿サーキット提供)
 ヨシムラが起用したクーリーは、米国カリフォルニア州出身のライダー。ヨシムラを支援する日本電装(現デンソー)のロゴマークが胸に大きく描かれたツナギに身を包み、パワーあふれる豪快なライディングで日本のファンを魅了した。1980年第3回大会でもグレーム・クロスビー(ニュージーランド)と組み、ロードレース世界選手権(WGP)王者に4度輝いたエディ・ローソン率いるチーム・カワサキを破って優勝を飾った。

 昨年、40周年を迎えた2017年鈴鹿8耐に、そのクーリーがやって来た。当時のマシンを駆るデモランに登場したクーリーを、ファンは大きな歓声で迎えた。鈴鹿8耐で初優勝した当時はまだ22歳の大学生だったクーリーは、62歳になっていた。

 クーリーは、南カルフォルニアで5歳からバイクに乗り始める。ただ楽しくて乗り続けていた。「プロのライダーになろうなんて考えていなかった」と言うが、1976年にポップ吉村こと吉村秀雄(ポップは“おやじさん”という意味)と吉村不二雄(秀雄氏の長男)に出会う。

 「鈴鹿8耐には4メーカーのファクトリーチームがいて、そこで勝つことはとても困難だ。あのときに僕たちが勝てると思っていた人はいなかったと思う。それでも、ヨシムラにとってホームコースである鈴鹿での勝利は特別だって理解していた。ポップ(吉村)は、ちゃんと話し合って、僕を尊重してくれた。ポップや不二雄は、僕を認めてくれた。家族で力を合わせるのは日本の伝統であり文化。ヨシムラにはそれがあったから勝てたんだ」

 その後、1985年のデイトナ200マイルでフレディ―・スペンサー(83年、85年のWGPチャンピオン)に次いで2位となったクーリーだったが、同年にレースでクラッシュを喫して大怪我を負い、レース界から離れることになる。27ヶ所を骨折した怪我からの復帰後は、「辛いリハビリを乗り越えた自分だからこそ、アドバイスができる。勇気を与えることができる」と、介護士としての人生を選択した。
第1回鈴鹿8耐優勝のヨシムラ(鈴鹿サーキット提供)
第1回鈴鹿8耐優勝のヨシムラ(鈴鹿サーキット提供)
 怪我を負って以来、クーリーはバイクにまたがることはなかったが、2016年に米国オハイオ州で開かれたバイクイベントで、久しぶりにバイクに乗った。その翌年、鈴鹿8耐40週年の記念イベントにやって来ることになったのだ。

 クーリーは「大好きなバイクに、怪我をする前と同じように乗れないのは辛かったから、レースを離れた。でも鈴鹿に来て、みんなが僕のことを覚えていてくれたこと、そして、またヨシムラの家族と会えたことがうれしい。バイクにもう一度乗ることにしたら、アメリカ国内だけでなく、イギリス、オーストラリアと、いろんな国のバイクイベントに呼ばれるようになって、世界旅行をしているようだ」と話す。クーリーの人生がまたバイクと一緒に動き出した。
吉村不二雄氏も、当時かぶってハンチング帽をアメリカ国旗をイメージしたデザインに作り直して、身につけていた。
吉村不二雄氏も、当時かぶってハンチング帽をアメリカ国旗をイメージしたデザインに作り直して、身につけていた。
 ヨシムラは、久しぶりに鈴鹿8耐へ訪れたクーリーに、当時と同じデンソーマークのツナギ、マシンを準備していた。前夜祭で行われたナイトランでも、ヨシムラのスタッフが当時のデンソーマークが入ったTシャツを着てクーリーを出迎えるサプライズを用意するなど、再会を大いに喜んだ。

 その後、前夜祭のトークショーには、1980年に2度目の8耐優勝を果たしたチームメイトのクロスビー、ヨシムラスズキのライダーとしてAMAスーパーバイク選手権で活躍、その後1993年にWGPチャンピオンとなったケビン・シュワンツ、2007年ヨシムラから8耐に参戦して優勝を飾った加賀山就臣、そして吉村不二雄、不二雄氏の甥でポップ吉村の孫、現ヨシムラ監督の加藤陽平が参加した。
2017年鈴鹿8耐前夜祭で集合したヨシムラファミリー
2017年鈴鹿8耐前夜祭で集合したヨシムラファミリー
 トークショーのあとで打ち上がった花火を、ヨシムラファミリーは揃って見上げた。

 不二雄氏は「第一回優勝のときに打ちあがった花火を、家族で見たことを忘れられない」と言う。あのとき父であるポップ吉村とクラッチのことで大喧嘩し、不二雄氏は鈴鹿を離れようとしたが、それを止めたのはクーリーだったと、長女の南海子さんが教えてくれた。クーリーが止めなければ、不二雄氏は花火を見ることはできなかった。
2017年鈴鹿8耐前夜祭、打ち上げ花火を見上げるヨシムラファミリー
2017年鈴鹿8耐前夜祭、打ち上げ花火を見上げるヨシムラファミリー