第262回
1995年6月24日の東京中日スポーツの紙面。原田哲也の転倒事故を伝える記事は、「走るも苦しく、やめるのもつらい。厳しい選択だった」という書き出しになっていた。7時間というヨーロッパと日本の時差の中でギリギリまで取材して大急ぎで原稿を書いて送る。24年前の記事だが、つい昨日のことのように思い出すことになった。
1995年6月24日の東京中日スポーツの紙面。原田哲也の転倒事故を伝える記事は、「走るも苦しく、やめるのもつらい。厳しい選択だった」という書き出しになっていた。7時間というヨーロッパと日本の時差の中でギリギリまで取材して大急ぎで原稿を書いて送る。24年前の記事だが、つい昨日のことのように思い出すことになった。
 オランダGPは予選初日から転倒者が続出する波乱の大会となった。右足や左手、右脚に左脚、そして鎖骨を折った選手もいる。日本人選手も、20人中その半数以上が転び、原田哲也、仲城英幸、徳留真紀の3人が骨折した。

 「転倒負傷!」のニュースを書かない日は1日もなかった。そしてニュース原稿の最後には必ず.....
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