第272回
1995年、125ccクラスでは青木治親の快進撃が続いた。オーストラリア、日本、スペイン、ドイツ、イタリア、フランスで優勝、チェコ2位でタイトル王手を掛けた。(写真/赤松孝)
1995年、125ccクラスでは青木治親の快進撃が続いた。オーストラリア、日本、スペイン、ドイツ、イタリア、フランスで優勝、チェコ2位でタイトル王手を掛けた。(写真/赤松孝)
 ブエノスアイレスの街で生まれ育った男の人のことをボルテーニョといい、女の人のことはボルテーニャという。そんな話を去年のちょうど今頃、ブエノスアイレスに向かう機内で隣の席に座った美人のボルテーニャに聞いた。

 一年前の日記を読み返すと、去年と同じ水曜日の夕方のフライトで僕は南米に向けて出発していた。成田〜シカゴ〜マイアミとアメリカで2度の乗り換え。マイアミに到着した時点で、日本を出発してすでに約20時間が経過。そこからさらに南米は約10時間かかるのだから、とにかく長い旅なのだ。

 今年は、ブラジルーアルゼンチンGPが2週連続の開催。最近は旅慣れしているのか、2週間くらいの取材旅行だと荷造りもあっという間である。愛用しているサムソナイトのスーツケースには、ライダーやメカさんたちに頼まれた雑誌や煙草、その他モロモロを詰め込んでも、まだ隙間だらけの状態で困ってしまう。

 荷物は軽い方がいいし、肉体的にも圧倒的に楽。しかし、反比例するように南米のツアーはいつも気分が重い。

 とにかく遠い。しかもアメリカ経由の長旅は、トランジットのアメリカの空港でまったく煙草が吸えないという、地獄を味わうことになるからだ。

 でも、まあいいか。たったの2週間だからと元気を奮い起こして成田に向かったのだ。

 前回のチェコ、ベルギーの2連戦も2週間の旅だった。「これから2週間、パパは仕事だからね」と出掛けていったのだが、5歳の娘に大泣きに泣かれた。だから今回は、カレンダーを見せなから「2週間」をじっくりと教えてからの出発となったのだ。

 その2週間の間に、日本からもっとも遠い南米で、今年もまた日本人チャンピオンが誕生するはずだ。125ccクラスで青木治親がタイトルに王手をかけている。それを阻止しようとしているのもやはり日本人の坂田和人。去年の今頃、坂田はたんぽぽの咲き乱れるアルゼンチンで史上3人目の世界チャンピオンに輝いている。

 今年はどんなドラマが待ち受けているのだろうか。南半球は、これから春を迎えようとしている。開幕戦オーストラリアGPで、その名の通り日本に「ハル一番」を吹かせて優勝した冶親が、今年2度目の「春一番」を吹かせてくれるかもしれない。

 そしてもうひとり、250ccクラスの原田哲也が逆転チャンピオンの可能性を残している。先週のGPサーカスで「実にいい顔をしていた」と書いた。その原田が、1日早く火曜日にブラジルに向けて出発しているのだが、どんな気持ちで飛行機に乗り込んだのだろうかと思う。

 原田にとっては、チームメートであり先輩であり友達でもあった永井康友選手の事故。出発を前に「重体」「危篤」の知らせは、あまりにも重く、そして辛い。1日も早い回復を祈るばかりである。

 (永井選手が亡くなったという悲しい知らせが、出発直前に届いた。永井選手のご冥福を、心からお祈り申し上げます)。

■1995年9月14日掲載
 ○・・・1995年、日本人として初めてスーパーバイク世界選手権にフル参戦、デビューシーズンにして常に上位を走り、将来のWSBチャンピオンとして期待された。オランダ・アッセンで事故のため亡くなった。(写真/赤松孝)