第288回
 正月早々、壮絶なシーンを見た。箱根駅伝往路4区。山梨学院大のエースで昨年のマラソン世界選手権代表の中村裕二選手が、左足を痛めながら走り続けたのだ。

 テレビカメラが追った。伴走する監察車に乗り込んだ上田監督が中村に何かを話し掛ける。おそらく走るのをやめさせようとしているのだろうということは、そのテレビの画面から手に取るように分かった。しかし、中村は足を痛々しく引きずりながら、ヨタヨタと走り続けた。

 そして、ついに力尽きた。その瞬間、中村は両手で顔を覆い、泣いた。

 3日付のトーチュウの一面にそのシーンが再現されている。「もういい。やめよう」。そんな記事の書き出しが、あの壮絶なシーンを再び呼び起こすことになった。

 「もういい。やめよう」。

 モータースポーツでも同じ言葉をよく耳にする。2輪の鈴鹿8時間耐久レース。そしてルマン24時間。今、行われているラリーのパリダカ。自転車のツールドフランスもそうだ。耐久レースでは、同じようなシーンにたびたび遭遇する。そして必ず、感動させられてしまうのだ。

 無駄だとわかっていながら、それでも最後の最後まで全力で戦い抜く。勝ち負けがすべてではない。それを中村選手は、この日、きっちりと見せてくれたような気がした。

 今から十数年前、僕がまだ現役のライダーだったころ、オーストリアのエステライヒリンクで行われた2輪の1000km耐久レースに出場したことがある。レースは約6時間を経過した時点でゴールとなるのだが、ゴールまで2時間を残して僕のマシンは止まった。

 マシンが息の根を止めたのはエステライヒリンクの最終コーナー手前の登り坂の手前。サーキットを知っている人はわかると思うがここの登りはかなりきつく、そこを僕は、約200kgのマシンを必死に押し上げたのだ。息は切れ、少しでも力を緩めるとマシンは坂の下に落ちていこうとする。時間にして約30分くらいの格闘だった。この時のつらさは到底言葉にはできないが、もう2度と同じ目にはあいたくないと思った。

 「もういい。やめよう」と何度思ったことだろうか。自分ひとりのレースだったなら、あの時、最後まで頑張れただろうかと今でも思う。そんなことを思い返していたら、「走ることしか考えていなかった」という中村選手の言葉があまりにも痛々しかった。そして「雪辱は来年」という言葉に、リタイアしたつらさがにじみ出ていた。

 箱根駅伝だけではなく、正月早々、僕はスポーツの素晴らしさを何度も味わった。レンタルビデオで借りた「フィールド・オブ・ドリームス」という映画では、夢見る大人と野球の面白さをあらためて感じた。「WeラブNomo・アメリカ現地紙はこう報じた文藝春秋編」という本では、野茂英雄の活躍をあらためて知ることができた。

 どれもこれも夢のある話ばかり。そんなことを思い返していたら、7年目に突入する僕のグランプリサーカスの旅は、依然、「フィールド・オブ・ドリームス」であり、今年もまた、グランプリで日本人チャンピオン誕生の瞬間を夢見ているのだ。

 いま、この原稿を書いているときに、ひざの間で寝ている1歳2カ月の息子がくすくすと笑った。きっといい夢でも見ているのだろうと思ったのだ。

■1996年1月4日掲載