第305回
これは、1993年、鈴鹿サーキットで開催された第3戦日本GPの250ccクラス決勝の写真。デビュー3戦目にして2勝目を挙げた原田哲也さん(#31)。後ろに、ロリス・カピロッシ、岡田忠之さんを従える。(写真/赤松孝)
これは、1993年、鈴鹿サーキットで開催された第3戦日本GPの250ccクラス決勝の写真。デビュー3戦目にして2勝目を挙げた原田哲也さん(#31)。後ろに、ロリス・カピロッシ、岡田忠之さんを従える。(写真/赤松孝)
 「レース中に転んだのは93年のイタリアGP以来のこと。本当に久しぶりでしたよ」と原田哲也が言う。「そう言われてみれば、そうだそうだ」と相づちを打ちながら、だからこそ、あの転倒はショックだったなあと、あらためて思ったのだ。

 125ccで日本人勢が表彰台独占。500ccでノリックが優勝したあの興奮の日本GPから一週間が過ぎた、あるポカポカ陽気の日のことだった。僕は日本GPの転倒で負傷した手の具合が知りたくて電話を入れた。すると「もう、大丈夫ですよ」と元気な声が返ってきて、安心したのだった。

 予選はPPだった。これまでも鈴鹿では絶対的な強さを発揮してきただけに、250ccで勝つのは原田だろうと思っていた。トラブルがなければ絶対に勝つ。転倒リタイアというのはまったく計算外の出来事だったのだ。

 その転倒は、500ccクラスで4位に終わった岡田忠之にも影響を与えた。「原田の転倒を見て慎重になったよ」と。ミシュランタイヤは気温が低いと温まりづらいという特性を持つ。その半面、タイヤの持ちは抜群にいいのだが、2気筒で車重が軽いホンダNSR500Vに乗る岡田は、原田の転倒を脳裏に浮かべながら序盤、慎重な走りに徹していたのだ。

 250cc時代から二人はライバル同士だった。お互いにその実力を知り尽くしている。冷静な走りをする“あの原田”が、リアタイヤが滑りハイサイドで転んだ。その光景がスタート前の岡田の脳裏に、きっちりと焼きついてしまったのだ。

 レースはやってみなければわからない。しかし、あのまま原田が走っていれば優勝した可能性は高く、岡田もまた表彰台に立てたかもしれないとあらためて思ったのだ。

 「自分としては、ものすごくゆっくり走っていた。最初の2周は本当にゆっくり。3周目もそんなにペースを上げたつもりはないのに2分10秒台真ん中。4周目だってそんなに速く走っているつもりはなかったのにね」

 しかし、乗りに乗れていることを今回の転倒で原田は、図らずも証明してしまった。調子が良すぎる。自分では手綱を引いているつもりが、とんでもないタイムで走っている。「あの転んでしまった周回、後で調べたらあそこまでで前の周回よりも1秒も速かったんですよ」「もし、転んでいなかったら」「9秒前半は行っていたと思いますよ」。250ccにとっては前人未到、驚異的なタイムを原田はあっさりと口にした。

 「これからは(M・ビアッジを)追う立揚。コースレコードと優勝狙いで行きますよ」という言葉が何とも迫力満点だ。今年の250ccは、予想通り原田VSビアッジの一騎討ちとなっている。3戦してビアッジの2勝1敗。しかし原田のタイトル奪還の敵はもはやビアッジではなく調子の良すぎる自分との戦い。どう手綱を引き締めていくかにかかっているようだ。

■1996年5月1日掲載
 ○・・・先日、原田哲也さんが鈴鹿8時間耐久レースの監督に就任という記事を書きましたが、トーチュウWebのアクセス数は、ここ最近ではズバ抜けた数字だったそうです。原田さんの知名度、そして注目の大きさを感じました。今年の8耐が楽しみですね。