92年Round 5 サンマリノGP編パート1
(92年5月22日掲載)
ウィリアムズの強さに、さすがのプロフェッサーも舌を巻いた(C)Chunichi
ウィリアムズの強さに、さすがのプロフェッサーも舌を巻いた(C)Chunichi
◆ Round 5 サンマリノGP
◆92年5月15〜17日 イモラ・サーキット(アウトドローモ・エンツォ・エ・ディノ・フェラーリ)
 ▽PP N・マンセル(ウィリアムズ・ルノー)
 ▽優勝 N・マンセル

「パトレーゼはマンセルより荒っぽい運転だ」

 イモラには行かないつもりだった。僕は興奮した群衆が好きじゃないし、フェラーリの地元に堂々と行く気もしなかった。でも、テレビからの要請がとても強かったせいだろう、最終的にはTF1の招きに応じてサーキットに足を運んだ。そしてそれは間違いではなかった。イモラでは多くの友達を再会することができた。中でもあの有名なティフォシたちは僕がフェラーリにもたらしたものを忘れてはいなかった。

 イモラの町の主任司祭までもがサーキットで僕にあいさつに来てくれたし、夜にはボローニャのレストランで何10人にもサインを求められた。僕に何か優しい言葉を求めてきた人たちの中には、とても身なりのよい老齢の紳士がいたけれど、彼の言葉は僕を感動させるものだった。

 「ムッシュー・プロスト、私はあなたのサインがいただきたいのですが。そしてファン・マヌエル・ファンジオと同じくらい尊敬し、ある意味ではニキ・ラウダやジャッキー・スチュワートを思い出させるチャンピオンに握手をしていただきたいのです。チェザーレ・ペルディサは私の友人です……」

 彼がいなくなってすぐに、僕はジャンルイ・モンセに尋ねた。ペルディサってだれ? マセラッティとフェラーリで、7度だけグランプリに出場したイタリア人ドライバーだと彼は答えた。そう、僕たちはこうして毎日勉強をしているのだ。

 これは土曜日の夜の話だけれど、サーキットではTF1の仕事を山ほどこなしてきた。ウィリアムズ・ルノーのアクティブ・サスペンション講座、タイヤに関するセオリーの授業、予選中で絶対に守るべきこと……。そして翌日曜日、僕は初めてグランプリの解説に加わった。これも、とても学ぶべきところの多い経験だった。まず何よりも、各局の解説者たちがどんな状況で仕事をしているかを学んだのだ。蒸し風呂の中で調整の合わない、ぼんやりした画面。この分野に関しては改良すべき点が多いようだ。

 それでも、コメンタリーボックスの温度に慣れてきたことから、僕は自分のやり方でレースを見つめることができた。これはものすごく有益なことだった。このサーキットでは、いかなるミスも許されないからだ。ナイジェル・マンセルについて言うこと? 何もない。彼は驚くほど性能の高いマシンによって、自分の力を抑えて走ることができたというだけだ。

 限界まで攻めずに勝てる限り、ウィリアムズとルノーによって開発されたシステムが信頼性を失わない限り、彼は今のままの状態を続けていくことだろう。FW14Bの進歩を見て、先進技術においてはウィリアムズ・ルノーは数レースではなく数年、他をリードしていると僕は思った。これらは彼らにとって過渡的なマシン、つまりシャシーBとエンジンRS3Cでのことだ。これからFW15やRS4が登場してくると、マクラーレン・ホンダやベネトン・フォード、そしてフェラーリは、すぐにもリアクションを起こさない限り、石器時代のマシンになってしまう。(訳・今宮雅子)

(次回はサンマリノ編のパート2を掲載します)