92年Round 12 ベルギーGP編
(92年9月5日掲載)
プロストはシューマッハーの初勝利を“偉大なる才能の開花”と評した(C)Chunichi
プロストはシューマッハーの初勝利を“偉大なる才能の開花”と評した(C)Chunichi
◆ Round 12 ベルギーGP
◆92年8月28〜30日 サーキット・デ・スパ・フランコルシャン
 ▽PP N・マンセル(ウィリアムズ・ルノー)
 ▽優勝 M・シューマッハー(ベネトン・フォード)

「初めての勝利は一つの壁を乗り越えたということ」

 ミハエル・シューマッハーが、とうとうフォーミュラ1での初優勝を飾った。マンフレッド・ヴィンケルホック、ステファン・ベロフといった才能のあるドライバーが、あまりにも若くして消えていくのを目にしたドイツが、18年間も待ち望んでいた、ビッグ・ドライバーの誕生だ。

 このベルギーGPでの勝利は、偉大なる才能の開花であると書いても、間違いではないだろう。僕たちはみんな、今までに何度も彼がその才能を見せつけてきたことを知っている。でも初めての勝利というものは常に、決定的な一歩であり、ひとつの壁を乗り越えたということなのだ。フォーミュラ1をドライブするなら、自分に自信を持たなくてはならない。でもその一方で、表彰台の一番高いところに上るまでは、ドライバーというのは常に小さな疑いを持ち続けるものなのだ。この一歩をクリアして、ドライバーは自分の選択が正しかったのだと勇気づけられ、他のドライバーと同じレベルに並べたと感じることができる。

 ドイツの神童とも言うべきシューマッハーの勝利は、それほど驚くべきことではなかった。それに運がほとんどを決めてしまう予測できないことがらが、レースを決めてしまったわけでもない。それどころか、シューマッハーは複雑なコンディションの中でマシンの特性が非常にはっきり表れるコースで完ぺきな、議論の余地のない勝利を確実なものにしていった。この成績に関して、僕は人間的な要素を語ったけれど、技術的、戦略的要素もなおざりにすることはできない。

 技術面に関しては、ライバル・チームのV10やV12に対して、パワーの小さいV8を搭載しているにもかかわらず、ベネトン・フォードがドライ・コンディションでもウエット・コンディションでも速いことは、この週末の初めから確認されていたことだ。

 それに、ベネトンがエンジン面で劣っていると書くのは間違いだろう。まず最初に、勝てるF1マシンというのは、全体的なクオリティーを追求しながら、最高の妥協点を見いだしたものであるということだ。そのクオリティーの中で、エンジンは重要な要素になってくる。それから、フランコルシャンのコースが1周の60%にわたり、エンジンに全開状態を要求するという事実は、ホッケンハイムやマニクールの例と比較すると非常に意味がある。エンジンの最高回転の使用は、ホッケンハイムでは1周の72%、マニクールでは50%だ。

 結局、シューマッハーのシャシーは非常に正しい動きを見せた。最高速が要求される地点においても、オー・ルージュからラディヨンにかけてプーオンやブランシモンなど、絶え間なくグリップが要求される部分においてもだ。

 それから、この勝利の戦略的な要素について。ベネトン・フォードとミハエル・シューマッハーは注目すべきインテリジェンスを発揮した。ブランドルの前で小さくコースアウトしたシューマッハーは、ブランドルの後ろでコースに復帰した。彼はその機会を利用して、チームメートのタイヤが摩耗していることを観察したのだ。ブラボー! 彼はすぐにスリックにはきかえるためピットに戻った。すばらしい! そして彼のメカニックたちは、見事なタイヤ交換を演じたのだ。最高だ! レース後の、シューマッハーはナイジェル・マンセルのマシンがエンジンの排気系のトラブルによってパワーを失った、その恩恵を受けたのだと言われているのを、僕は耳にした。だからマンセルはシューマッハーに追いつくことができなかったのだと……。この分析には、僕は賛成できない。というのは、マンセルがシューマッハーに追いつけたとしても、そのころにはコースラインだけが乾いた状態となっている。だからスリックタイヤでコースの濡れた部分を利用して追い越すなど、不可能なのだ。

 それに加えて、レースの終盤ではナイジェルはウィリアムズとルノーのためにコンストラクターズ・チャンピオンを確定しなければならないと感じていたはずだ。だから彼は接触や事故、リタイアのリスクは冒さなかったはずだ。したがってミハエルの勝利は、まったく異論を挟む余地のないものなのだ。

 このグランプリの流れの中で逆に理解できなかったのは、ウィリアムズ・チームの作戦だ。なぜマンセルとパトレーゼがあんなにタイヤ交換を遅らせたのか、なぜパトレーゼがポジションのよかったマンセルより先に交換したのか、僕は今も理解できないでいる。このレースにおいていいリアクションを示したのはシューマッハーと、それにブーツェンもそうだ。たとえティエリーがその後コースアウトしてしまったとしても、すぐにタイヤ交換しなければならない状況だったのだ。

 それに、僕はセナの作戦も理解できない。ドイツでもハンガリーでもアイルトンはすばらしい戦略のセンスを僕たちに見せつけてくれただけに、今回の作戦はなおさら理解しがたいものだ。彼がレースの序盤、スリックのままで走るというかけに出たことはたしかにとてもよく理解できる。でも、やりすぎではいけない。あれは、あまりにもわかりやすいミスだった。

 他の何でもないドライバーになら認められるミスも、セナは犯してはならないのだ。彼がフランコルシャンで5回も優勝し、このコースの気象条件を詳細まで知り尽くしているだけになおさらだ。彼は僕たちには理解できないような事実や雰囲気に、乱されていたのだろうか?

 おそらく、ベルギーGPは彼がその実力を発揮できる機会だった。その証拠として、僕は彼が出したレース中のタイムを例にあげたい。それはシューマッハーやマンセルのタイムと比較しても、十分戦えるタイムだ。セナは、勝てるチャンスを逃してしまったのだ。(訳・今宮雅子)

(次回はイタリアGP編を掲載します)