追いつかなかった技術&タイヤ〜ウイング登場で消滅
公開講座第27回
 【質問】昔F1にも、四輪駆動が有ったそうですが、本当でしょうか? 存在していたなら、メーカーやメカニズム、レギュレーション、その他詳細を教えてください。(ペンネーム=しゅうたろう)

 【答え】四輪駆動のF1は確かにありました。1961年に「ファーガソンP99」というマシンが、イギリスでのノン・チャンピオンシップ戦とイギリスGPに出走したのが始まりです。これには、ハリー・ファーガソンというエンジニアが開発した四輪駆動システムが搭載されていました。

 このあと、1964年にBRMという当時のイギリスの名門チームも、ファーガソンによる四輪駆動システムを搭載したマシン「BRM P67」を製作し、同年のイギリスGPにエントリーしますが、予選出走のみで終ってしまいました。ここでF1での四輪駆動車の流れは停滞します。

 ところが、1969年にふたたび四輪駆動の時代がF1にやってきます。コスワースのDFVエンジンが市販供給されたことで、パワフルなエンジンが大量に出回りました。これは、二つの要求を生みました。ひとつは、大きなパワーを有効に路面に伝達したい。もうひとつは、フェラーリなどのより大パワーなエンジンに対抗するだけでなく、同じDFVエンジン勢のなかでも抜きんでたい、というものでした。

 チーム・ロータスは、1968年のインディ500にガスタービン・エンジン搭載の四輪駆動マシンの「タイプ56」で参戦した経験をふまえて、「タイプ63」を1969年に出走させてきました。マトラは、前年のコンストラクターズ・チャンピオン・マシン「MS80」をベースに、四輪駆動化した「MS84」を投入。ブルース・マクラーレンが率いたマクラーレンも、「M9A」を開発し、実戦に投入してきました。また、エンジン・メーカーのコスワースも、四輪駆動F1を試作していましたが、これは試作だけで終わりました。

 ロータス、マトラ、マクラーレンによる四輪駆動F1もすべて短命に終わりました。これらのマシンは、みなファーガソン・システムを搭載していました。当時のテクノロジーでは、これしか選択肢がなかったのです。

 しかし、このファーガソン・システム技術は、現代の四輪駆動システムと比べれば技術的に未熟でした。前後のタイヤの回転差と駆動力を分配するセンター・デフも備えていましたが、現代のもののような電子制御もなく、すべては機械制御だったのです。

 結果、当時の四輪駆動F1マシンは、ドライバーにとって扱い難いものになっていました。ウエット路面では素晴らしい加速性能を発揮したことがあったそうですが、ドライ路面ではひどいアンダーステアから、不安定なコーナリング挙動になったそうです。ブルース・マクラーレンは、四輪駆動マシン「M9A」のハンドリングを「誰かにひじを小突かれながら、効き手でない左手でサインをしているようだ」と表現したほどです。

 四輪駆動F1の失敗は、当時のタイヤにも大きな原因がありました。リア・タイヤは、DFVエンジンのパワーをうまく路面に伝達できたのですが、車体の向きを変える役割のフロント・タイヤはエンジン・パワーがかかるとグリップ不足になったのです。

 そこで、より接地面の大きなフロント・タイヤも開発されましたが、それでも前後のタイヤの性能が、四輪駆動にはアンバランスでした。結果、挙動が乱れやすくなったのです。DFVエンジンの大きなパワーを有効に路面に伝達して、より速く走りたいという要求で生まれた四輪駆動F1にとって、タイヤ性能がネックになるのは、皮肉な結果でした。

 四輪駆動F1には、40〜50kgほど重量がかさむという、レーシングカーとして致命的な欠陥もありました。

 一方、1968年から1969年にかけて、ウイングが流行しはじめました。ウイングは四輪駆動システムよりも開発と製作のコストが安く、重量も軽く、シンプルな構造でした。しかも、四輪駆動が目指した、エンジンの駆動力を有効に伝えることも、ダウンフォースでタイヤのグリップを増すことで実現しました。すると、必然的にウイングが主流になり、四輪駆動は消えていきました。

 四輪駆動F1を早い段階で辞めたBRMのテクニカル・ディレクターだったトニー・ラッドは、60年代の四輪駆動F1開発を「常時ブレーキがかかるマシンを開発するようなもの」として、ムダな労力だったと評しました。

 しかし、WRC(世界ラリー選手権)では80年にアウディが四輪駆動のクアトロで活躍。以後、四輪駆動が必須テクノロジーとなり、その技術は急速に進化、洗練されました。その成果は、今多くの皆さんが市販車で享受していますよね。

 このラリーでの流れに対して、F1はドライバーの操縦技量を競うことが第一という考えから、83年に四輪駆動を禁止するレギュレーションを制定。これは現代まで続いています。(モータースポーツ・ジャーナリスト)