もて耐に参戦した「51ガレージチームイワキ」のチーム1(カメラ=佐藤洋美)
もて耐に参戦した「51ガレージチームイワキ」のチーム1(カメラ=佐藤洋美)
 鈴鹿8時間耐久ロードレース(鈴鹿8耐)の翌週、体も心も鈴鹿8耐モードのまま、栃木県のツインリンクもてぎへ。通称「もて耐」は、世界一の草レースを合言葉に1998年に始まったレース。開催当初は、リッターマシンを中心に300台を超えるエントリーが集まる人気ぶりでした。現在は参戦マシンやレギュレーションなどの様々な変革を遂げながら歴史を重ね、今年は148台がエントリー。76台が7時間耐久(7耐)に参戦、それ以外は敗者復活を賭けた4時間耐久(4耐)に参戦します。4耐に優勝すると7耐への参戦権が得られ、77台が7耐のグリッドに並びます。

 注目は「51ガレージチームイワキ」。3チームがエントリーし、1チーム目は、岩城滉一/辻本聡/宗和孝宏/山元聖。2チーム目は橋本翼/豊島玲/上原大輝の10代チーム。3チーム目は住谷海/佐藤正治/家根谷大晨/石田祐宗。エースチームの2は、岩城氏に優勝をプレゼントする使命を持った俊足揃いだったのですが、予選で転倒してしまい4耐に参戦することに。68番グリッドから3位まで追い上げましたが、トラブルでリタイヤ。

 チーム1と3は、7耐に参戦。岩城氏は「辻本も宗和も俺にとったら憧れのライダー」と言い、ふたりがスターライダーとして活躍していた1980年代からの付き合いです。岩城監督、ライダー辻本、宗和で鈴鹿8耐に参戦したこともあり、もて耐の参戦経験もありますが、3人が顔を揃えたのは久しぶりでした。
ライダー続行宣言をした岩城滉一さん(カメラ=佐藤洋美)
ライダー続行宣言をした岩城滉一さん(カメラ=佐藤洋美)
 岩城氏の前世は「レーシングライダーだったかも」と思うほどで、辻本、宗和が驚くタイムを出すのですが、今年は首を痛めており、コーナーリングがうまくできませんでした。ドクターストップがかかるほどの深刻な状況。それでも岩城さんの参戦の意志は変わりません。でも、このもて耐後には、映画が4本、ドラマが1本と過密なスケジュールが控え、今後も仕事との兼ね合いを考えるとレース参戦は「これが最後」と誰もが考えていました。だから、チームのみんなは、岩城さんに最後のチェッカーを受けてもらおうと決めていました。

 迎えた決勝日は、「8耐以上の暑さだね」という岩城さんのひと言から始まりました。酷暑となり、青い空に真夏の雲がくっきり浮かび、ピットに立っているだけで汗だく。それでもコースへと飛び出して行くバイク好きたちの熱気で、さらに暑さが増していました。その中を岩城さんはコースへと飛び出し、懸命の走りを見せます。ですが、周回数は短く、タイムも上がらず、本人は残念そう。昨年はチームの戦力となり、宗和らと遜色のないタイムを記録していたのですから、その無念さは、誰の目にも明らかでした。そして、陽は傾き、岩城さんのラストランの時が近くなって来ます。

 当初、辻本から最終ライダーの岩城さんにライダー交代し、あわせて給油を行う予定でした。が、なんと、辻本はクラス(ST−R25)優勝をかけたバトルを繰り広げるほど順位を上げているではありませんか!

 優勝か?岩城さんのラストランか?どうする?

 みんなが岩城さんを見つめました。岩城さんは迷うことなく「勝とう」と即決。それでも、1周半、ガソリンが足りない事実は変わりません。辻本の燃費走行に掛けるしかありませんでした。チェッカーを受けることなくストップする公算が高く、祈るような気持ちと勝利を願う気持ちが入り混じり、緊張感と興奮がピットを包みます。

 7時間が経過し、「さすが」の走りを貫いた辻本が最終コーナーを立ち上がって、コントロールラインを通過すると、サインエリアでは拳を振り上げ「やったぁ!」と声が響き、ピットに笑顔があふれます。ピットロードでペースダウンのサインを送っていた橋本や山元がピットに万歳と両手を上げ駆け込んで来ます。それを岩城さん、宗和が迎え、歓喜に包まれました。辻本を迎えると喜びの声はさらに大きくなりました。チーム3も、転倒がありましたが、無事完走を果たしました。 

 岩城さんのラストランはなくなってしまいましたが、「このままでは終われない」とライダー続行を宣言してくれました。

 年齢も立場も違うライダーやチームスタッフが握手をして、抱き合い、ハイタッチしてお互いを讃えあう「51ガレージチームイワキ」のピットを見ていていると、レースは、人と人を強く結びつけ、ひとつにしてくれるのだなと思い胸が熱くなったのでした。
辻本のみごとな燃費走行で、クラス優勝を勝ち取りました。(カメラ=佐藤洋美)
辻本のみごとな燃費走行で、クラス優勝を勝ち取りました。(カメラ=佐藤洋美)