WGP日本GP特別編(3)
関口の挑戦者としての姿勢、走りに、多くのファンが魅せられています(赤松孝撮影)
関口の挑戦者としての姿勢、走りに、多くのファンが魅せられています(赤松孝撮影)
 現在、全日本ロードレース選手権JGP2に参戦中の関口太郎(40)が、ロードレース世界選手権(WGP)第15戦日本GP(16日決勝)のモト2にワイルドカード参戦します。関口の初レースは、1992年の関東ロードレースのS80。そこから数えると、24年ものキャリアを誇ります。ですが、関口のことをベテランと呼んでしまうのは、少し違和感があるのです。いつも変わらず何かに挑んでいて求めているチャレンジャーの姿勢が、今年の関口は何をするのかなと気にさせるからだと思います。

 関口は全日本ロードレース選手権のJGP2ランキング2位で、ワイルドカード参戦のチャンスを掴みました。ただ、プライベートライダーのワイルドカード参戦のハードルはとても高く、モト2になってからはさらに厳しくなっています。戦うマシンを準備しなければならない苦労は、金銭的にも日程的にも「無理」なレベルに思える。

 そんな状況だから、関口に「権利はあるけど難しいよね」と失礼な質問を投げかけた際、「出るよ」と明るい口調で答えが帰ってきたときは、驚きました。でも「もう一度世界に」という目標を掲げている関口にとって、ワイルドカード参戦は当然のことで、そこに立ちはだかる壁は、打ち破るためにあるのです。
 関口が全日本ロードレース選手権250でチャンピオンに輝いたのは2001年、激戦の末、逆転でチャンピオンを獲得します。250のタイトル獲得者は、その後ワークス入りし、プロフェッショナルライダーとしての扉を開く鍵を得たようなものだったのですが、関口はそのまま日本を飛び出し、WGPへ乗り込みます。ですが、チームに恵まれなかったこともあり、継続参戦できなくなってしまった関口は2003年、WGP参戦を目指す欧州の血気盛んなライダーが挑むヨーロッパ選手権に戦いの場を移し、全戦全勝を飾るのです(これって信じられないくらい凄い記録です)。圧倒的速さを示して、2004年にはWGPに帰り咲きます。

 ですが2005年、開幕直前にスポンサーが消滅。個人スポンサーを募集することになりましたが、それがネット掲示板“2ちゃんねる”で話題となり、電車男をもじって「『単車男』に資金を」という言葉が流行、多くのファンに支えられながら資金を集めることができ、WGP参戦を果たします。

 関口の応援CDが発売されるなど、レース界だけでなく、大きなムーブメントを作り上げます。さまざまな困難を乗り越え、関口は2007年まで世界で走り続けますが、ケガもあり、2008年に日本へ戻ってきて、全日本ロードレース選手権へと戦いの場へと移すのです。

 帰国してからも、関口は600参戦やダブルエントリーするなどチャレンジし続けます。2012年からJGP2に専念。本来の力を示してトップ争いを繰り広げますが、大腿骨骨折。2013年にはバセドウ病にかかり、元気がありませんでした。

 「笑うと免疫力が上がるらしいよ。笑顔だよ〜」と声をかけますが、何よりも大事なレースで力が入らないのですから、笑うこともできず、とても辛そうでした。それでも今ではその病気も克服し、昨年は本来の関口の走りを取り戻し、首位争いするほどにまで復活しました。今年はタイトル争いを繰り広げ、現在は日本GPへの準備に追われています。

 「世界最高峰の舞台、そう簡単には行かないことを誰よりも知っているつもり。でも、だからこそ、そこへ戻りたいと思っている。ワイルドカード参戦で戦えるマシンに仕上げることは、たいへんだけど、そこに向けて頑張っている。自分が、今どの位置にいるのか知りたい。何が足りないのか…。自分を強くするために走りたい。もう40のおっさんだけど、まだ成長したいと思っている。WGPは簡単にビリになる世界。だから、目標はビリにならないこと。カッコ悪いとこ見せることになるかもしれないけど、それでも走りたいんだ」

 関口は、このワイルドカード参戦の経験を後輩のために残したいと語っていました。たいへんだからと諦めることは簡単だけど、それでも諦めず挑戦しようとする誰かのために、自身の挑戦を礎にしようとしています。プライベートライダーの苦難の道を切り開き続けて来た関口だからこその戦いが、始まろうとしています。