“コカ・コーラ”鈴鹿8耐特別編(3)
昨年の“コカ・コーラ”鈴鹿8耐でのニッキー・ヘイデン(鈴鹿サーキット提供)
昨年の“コカ・コーラ”鈴鹿8耐でのニッキー・ヘイデン(鈴鹿サーキット提供)
 ニッキー・ヘイデンを知ったのは、アメリカにとても速い3兄弟のライダーがいる、という話を聞いたことが最初でした。その3兄弟の次男であるニッキーは、2002年にアメリカスーパーバイク選手権(AMA)チャンピオンとなり、2003年にロードレース世界選手権(WGP)の500ccクラスに参戦します。過去、アメリカ人ライダーでは、ケニー・ロバーツがWGPに大きな旋風を巻き起こし、その後、フレディ―・スペンサー、エディー・ローソン、ウェイン・レイニー、ケビン・シュワンツと、数々の世界チャンピオンを輩出しています。同じアメリカ人ライダーとして頭角を現してきたニッキーにも、参戦当初から大きな注目が集まっていました。

 この年、ニッキーは清成龍一と“コカ・コーラ”鈴鹿8耐に、ホンダのエースナンバーであるゼッケン11を付け、セブンスターホンダで参戦するのです。ふたりは予選6番手でグリッドに並びます。ですが、スタートして2ラップ目の1コーナーでオイルを撒いたマシンが出て、トップ集団が多重クラッシュ。ヘイデン/清成組、亀谷長純/岡田忠之組(ホンダ)、渡辺篤/加賀山就臣(ヨシムラ)らが転倒する事態となります。その後、転倒車両はレッカーによってピットに戻され、結果リタイアの判定に。この判定に対してライダーや監督が抗議、プレスルームで抗議の記者会見で開かれるなど大混乱となりましたが、判定は覆されることなく、ホンダの未来を担うヘイデン/清成の8耐優勝は消えてしまいました。

 2005年、ニッキーは母国開催となるWGPアメリカGPで初優勝を飾ります。ラグナセカの名物コース、コークスクリューを駆け下りるニッキーは、唸るほど格好良く、人気と実力を兼ね備えたトップライダーへと駆け上がっていくのです。

 2006年にはバレンティーノ・ロッシと熾烈なタイトル争いを繰り広げます。シーズン終盤、ニッキーはポイントでリードしていましたが、第16戦ポルトガルGPでチームメイトのダニ・ペドロサとの接触によるリタイアで、同レース2位を獲得したロッシにポイントリーダーの座を奪われます。そして最終戦スペイン・バレンシアGP、ロッシはニッキーの直後までに入ってフィニッシュすればタイトル獲得という状況。ニッキーはチームメイトのダニにヘルプを頼み、それに応えたダニは、決勝でヘイデンを前に行かせます。最終的にロッシは転倒、ニッキーは3位でチェッカーを受け、逆転チャンピオンに輝きました。

 ダニは「チームにとっても、ニッキーにとっても、自分にとっても最高だ」と言い、ニッキーは「ダニにいつか恩返しする」と語っていました。多くのドラマを含み決着を見たバレンシアGPで、アメリカ国旗を抱え、ヘルメットを脱ぎ、ウイニングランをするニッキーの顔は涙で濡れ、その姿は神々しく見えたものです。世界チャンピオンになる凄みを教えてもらったように思っています。

 2016年、スーパーバイク世界選手権(WSB)に戦いの場を移したニッキーは、鈴鹿8耐にも参戦。WSBでチームメイトであるマイケル・ファン・デル・マーク、そして高橋巧と共にレースに挑むことになりました。レースウィークでは、たくさんのファンに囲まれて人気者のニッキーですが、彼自身のヒーローについては「僕のヒーローはAMAのダートトラックやスーパーバイクで活躍していたババ・ショパード。だけど、鈴鹿8耐優勝者にも憧れていたよ。エディー・ローソンやコーリン・エドワーズ、他にも世界チャンピオンのミック・ドォーハンも…。良くTVで見て応援していたんだ。夜の走行のヘッドライトの灯りが印象的で、子供の頃から、いつかここを走ってみたいと思っていたんだよ。鈴鹿8耐を走るのは13年振り。また挑戦出来ることが嬉しい」と参戦を楽しみにしてくれていました。

 そして「僕はダートレースから初めて、AMAチャンピオン、WGPチャンピオンになり、たくさんのトロフィーを持っているけど、鈴鹿8耐優勝のトロフィーはない。だから、それがほしいと思っている。うんざりするくらいに暑くて、たいへんなレースだって知っているけど、それでも勝ちたいね」と、8耐にかける思いを語ってくれました。
昨年の“コカ・コーラ”鈴鹿8耐、ニッキー・ヘイデンの走り(鈴鹿サーキット提供)
昨年の“コカ・コーラ”鈴鹿8耐、ニッキー・ヘイデンの走り(鈴鹿サーキット提供)
 迎えた昨年の鈴鹿8耐本番、予選5番グリッドから決勝に挑みますが、ニッキーが走行中の午後2時過ぎにマシントラブルが発生し、リタイア。またしても、ニッキーの願いは叶いませんでした。今年も高橋にメールでマシンの状況を確認していたニッキーは、鈴鹿8耐に挑戦しようとしていたように思います。

 取材をさせてもらう機会は、それほど多くありませんでしたが、ジャーナリストの遠藤智さんは「ニッキーは裏も表もない。気持ちのいい奴なんだよ」と言い、他の多くの人たちから伝え聞くニッキーの印象も変わりませんでした。私は「誰に聞いてもあなたのことを悪く言う人はいない、みんないい奴だって言うのだけど、どうしたら、そんないい人になれるの?お母さんの育て方が良かったから?」と聞いたことがあります。ニッキーは笑いながら「それは嬉しいね。子供の頃からレース一家で育って家族仲が良かった。母親も父親もいたずらをすると怒られたりしたけど、特別なことは何もないよ」と答えてくれました。

 チャンピオンに輝いた年、アメリカで人気のある男性50人に選ばれたと教えてくれた顏もチャーミングで、私が「当然ですね」と言うと、ちょっと照れたように笑っていました。レースには貪欲で厳しい顔が印象に残っていますが、バイクを降りると、日向の匂いがするような明るくてあたたかな人でした。

 スーパーバイク世界選手権にRed Bull Honda World Superbike Teamから参戦中のニッキー・ヘイデン選手(35歳)は、イタリアのリミニ近郊で自転車トレーニング中、自動車との接触事故で、現地時間5月22日19時9分に逝去されました。ニッキーの家族、そしてフィアンセ、ファンに心からの哀悼の意を捧げます。