2018〜19世界耐久選手権(EWC)開幕戦ボルドール24時間耐久が、9月15日〜16日(決勝)に開催されます。昨シーズン、日本チームとして初の世界チャンピオンに輝いたTSR、再び挑戦を開始したトリックスターが参戦します。近年ではEWCでも日本人の姿が珍しくなくなりました。

 ボルドールはフランス南部にあり、ポールリカールサーキットが舞台です。
 みなさんは、このサーキットで日本人初の24時間耐久優勝を飾った日本人ライダー「永井康友」を知っていますか?1994年、ボルドール24時間耐久に参戦し、クリスチャン・サロン/ドミニク・サロンと組んで勝利しました。日本人初の24時間耐久覇者として、多くのメディアに取り上げられました。

 永井はヤマハの名ライダーを輩出した名門チーム「SP忠男」出身。その後、ロードレース世界選手権チャンピオンとなる原田哲也や、モトGPで活躍した中野真矢らが後輩にあたります。SP忠男出身ライダーは目玉マークのヘルメットで有名です。

 永井は、1987年の筑波選手権ノービスF3、SP400チャンピオンで、GP250ランキング2位とスーパーノービスとして大活躍。、翌年ジュニア昇格、ここでもGP250チャンピオンとなり、国際A級昇格と同時にヤマハファクトリー入りし、TT−F1クラス(現在のJSB1000)に参戦。世界選手権SUGO大会で2位表彰台獲得と、非凡な才能を示します。
 1993年は、全日本最高峰クラスだった500ccが消滅し、1994年にはスーパーバイクが最高峰となり、このクラスに各メーカーのエースライダーが集結。ヤマハは永井、藤原儀彦、吉川和多留、ホンダは武石伸也、青木拓磨、阿部典史、カワサキは宗和孝宏、塚本昭一、他、北川圭一や柳川明、梁明、芳賀紀行ら、その後の日本のレース界を支える、才能あふれるライダーたちが顔を揃え、しのぎを削っていました。

 この年、永井はロードレース世界選手権チャンピオンのエディー・ローソンと鈴鹿8時間耐久ロードレースに参戦するなど、常に話題のライダーとして活躍。ボルドール24時間耐久にも参戦し、優勝を果たし帰国。ライダーとしての素晴らしさは当然ですが、大学卒業の頭脳派で、常に人垣の中心にいて、ちょっとシニカルなジョークを飛ばしてみなを笑顔にする人気者でした。
 1995年には念願のスーパーバイク世界選手権(WSB)参戦、夢を叶えます。壮行会には、幼馴染の仲間たちに加えて、まだ無名の加藤大治郎や亀谷長純もいて、面倒見の良い兄貴分としての顔もありました。

 私と永井は「WSBで勝利する初めての日本人になろう。東京中日スポーツの一面に載る」と約束し、レース後には自筆の報告書を送ってくれていました。丁寧に書かれた文字を見ながら、彼の奮闘と、挑戦する充実感を感じ、応援に力が入ったものでした。

 でも、彼との約束だった記事が大きく掲載されたのは、WSB第10戦オランダでの死亡事故の記事でした。息を引き取ったのは1995年日本時間9月13日、当時29歳でした。

 彼の意志を継ぎ、1996年には吉川和多留がWSBへと向かい、永井のゼッケン5で戦うのです。
 その永井が乗った1993年鈴鹿8耐車#21、1994年鈴鹿8耐車#5、1994年ボルドー24時間耐久を走ったマシンとパネルが、静岡県磐田市の「ヤマハコミュニケーションプラザ」2階の図書館前に10月5日まで展示されています。
「ヤマハコミュニケーションプラザ」で展示されている車両。#21は1993年鈴鹿8耐参戦マシン、#5は1994年鈴鹿8耐参戦マシン(この年はエディローソンと組んで4位)(ヤマハ提供)
「ヤマハコミュニケーションプラザ」で展示されている車両。#21は1993年鈴鹿8耐参戦マシン、#5は1994年鈴鹿8耐参戦マシン(この年はエディローソンと組んで4位)(ヤマハ提供)