意思を継ぐ長島哲太
2018年WGP日本GP特別コラム(2)
2006年もてぎ日本GPで優勝を果たした青山博一
2006年もてぎ日本GPで優勝を果たした青山博一
 ロードレース世界選手権(WGP)モト2クラスには、長島哲太(26歳)がレギュラー参戦しています。故富澤祥也の弟分でもあり、思い切りの良いライディングで将来を嘱望され、その意志を継ぐと世界に飛び出して行きました。今年は2009年ロードレース世界選手権(WGP)GP250クラスのチャンピオン・青山博一(36歳)監督の元でチームアジアから参戦、その飛躍に大きな期待を集めています。

 青山監督は、2003年全日本ロードレース選手権GP250チャンピオンとなり、ホンダのスカラシップ第一期生として、2004年にはアルベルト・プーチ監督の下でダニ・ペドロサをチームメイトにWGPへの参戦を開始。現WGPモトGPクラスのチームHRC監督となったプーチ監督は「日本人以上に日本人のようで、規律に厳しい」という鬼監督で有名。青山はそのプーチ監督のスペイン・バルセロナの自宅近くに暮らし、プーチ監督指導の過酷なトレーニングに挑み、信頼を勝ち得て行きました。
2006年もてぎ日本GPで優勝を果たした青山博一
2006年もてぎ日本GPで優勝を果たした青山博一
 私が忘れられないのは、2005年、2006年日本GPもてぎ。ここで、青山は優勝を飾っています。WGP参戦2年目の青山はコースレコードを記録し、ポールポジションを獲得。ホルヘ・ロレンソ、アレックス・デ・アジジェルリス、アンドレ・ドビツィオーゾ、ペドロサとの戦いの末、彼らを押しのけて勝利するのです。

 大きく日の丸を掲げてウイニングランし、表彰台に登った青山に「ひろし」コールが沸き上がりました。日の丸が誇らしく揺れ、「君が代」が流れたのです。青山は帽子を握りしめ、ちょっとよろめいて、涙を見せまいと上を向きました。でもあふれる涙は隠しようがなく、頬を濡らしました。
 そして2006年は、GP250クラスにフル参戦を開始したばかりのKTMからの参戦で、KTMに初優勝をもたらします。このとき青山の勝利を予想した人は、そんなに多くはなかったように思います。ですが、青山はドビツィオーゾ、エクトル・バルベラ、アンジェリスの4台と熾烈なバトルを繰り広げ、この戦いを制します。熱狂する観客の声援が、いつまでも鳴りやみませんでした。その後、青山は2009年にWGPチャンピオンに輝きます。

 2010年からはモトGPクラスに参戦を開始し、2014年まで戦いますが、その後はプーチ監督の片腕として後進の指導を中心に活動しています。でも、あの頃の青山のライバルがモトGPで今も活躍しているのを思うと、青山も走り続けることができていたら、変わらずにファンの心を熱くしてくれたに違いないと思います。
 その中のひとりであるペドロサは、今季限りに引退を表明。青山の誘いで鈴鹿8時間耐久ロードレースに参戦するのかが話題を集め、チームメイトに上がっている小山知良(34歳)も「実現したら面白い」と語っていました。この話の発端は、青山と小山が「体形の近いダニと3人で参戦できたら」と話をしていたのがきっかけ。ドリームチーム結成に胸が高鳴ります。

 でも、まずは日本GP。もてぎに強い青山監督が、長島の才能を引き出してくれることに期待です。母国GPは不思議な力がライダーの背中を後押ししてくれます。その力を誰よりも知る青山監督の采配に注目です。
 長島の予選タイムを見る限り、上位進出の力はあるはず。今年の鈴鹿8耐ではトップ10トライアルで俊足を誇り、決勝でもトップライダーと変わらない走りを見せ、成長を遂げていることを示しました。今度は本業のモト2で、自分の速さと力を信じて、長島らしい伸び伸びとした開けっぷりのいい走りがみたい。

 青山が勝利したとき、6万人の観衆がたしかにひとつになりました。あの震えるような感動のときを一緒に過ごせたらと誰もが願っているのです。