今シーズンのロードレース世界選手権(WGP)日本GPの思い出第2回です。

 ひと昔前、もう、ふた昔かなぁ。ワイルドカード参戦した日本人ライダーが大活躍した時代がありました。上田昇は1991年のWGP開幕戦日本GPで劇的な優勝を飾り、そのままWGPにフル参戦を掴みました。1993年WGP500では、阿部典史がケビン・シュワンツ、マイケル・ドゥーハンとトップ争い、ラスト3周で劇的に転倒してしまうのですが、そのインパクトは大きく、後の世界進出につながるのです。

 加藤大治郎も、1997年にWGP250にワイルドカード参戦し、当時フル参戦中の原田哲也や宇川徹をおさえて優勝、その名を世界に響かせ、世界参戦を多くの人が熱望するようになるのです。2000年代でも高橋裕紀や青山博一も250にワイルドカード参戦、表彰台に上がる活躍を見せ、世界へと飛び出したのです。

 しかし、今ではワイルドカード参戦からポイント圏内(15位)に入ることが至難の業となり、みんなの目標は「ビリにならないこと」に変わりました。日本人ライダーがワイルドカードで活躍できていた時代は、マシンがGP仕様と同等であり、走り慣れた日本のサーキットでは海外勢よりも有利だからと言われていました。
 近年、ワイルドカード参戦するチームにエンジンが渡されるのはレースウィークとなり、短時間でマシンを仕上げなければならず、ライダーは全日本ロードレース選手権で記録しているベストタイムに近づくことすら難しい状況です。そのため年々参戦ライダーは少なくなっています。それでも、それらの事情を加味しても、参戦を決意したのが、ホンダを駆る19歳の長谷川聖(Team Anija Club Y’s)でした。

 長谷川は、2015年の岡山ロードレース選手権JGP3チャンピオン、CBRドリームカップチャンピオン、鈴鹿サンデーGP3チャンピオンに同時に輝き、2016年に全日本JGP3クラスを走り始めます。頭角を現したのは昨年、トップ争いに加わるようになり、3位を二度獲得します。

 そして、今年の開幕戦もてぎで初優勝を飾ると、レース全体を引っ張る強さを発揮、2戦目のSUGOは2位、3戦目筑波は5位、4戦目筑波は勝利し、地元の岡山国際では連勝を飾り、5戦目となるオートポリスで2位に入ると、最終戦を待たずに初タイトルを獲得しました。
 もてぎ日本GPの記者会見では、「(日本の)チャンピオンとしてワイルドカード参戦できて良かった」と胸を張りました。子供の頃に一緒に走っていたモト3の真崎一輝選手と走れることも楽しだったそうですが、サーキットで話を聞くと、「自分は全日本チャンピオンだと自己紹介できるように英語を勉強してきたんです。ちゃんと伝わっているか分からないけど…。相手はヘェ〜って苦笑い」と笑顔で話し、日本代表として挑む心意気を示していました。

 長谷川のチームスタッフは、短時間にも懸命にマシンを仕上げますが、フリー走行までにはマシンがまとまらず、貴重な走行のチャンスを生かせません。基準タイムに届かず、順位もつかない。

 予選日は天候が崩れます。午後の走行で「マシンがやっとまとまってきた」とコースインしますが、マシンから白煙が出ているとオレンジボールが提示、コース脇にマシンを止められ、そこではマシンに異常は確認されませんでしたが、エンジンが始動できず、タイムアタックすることすらできません。タイムは予選基準タイムを超えることなく、予選不通過となり、決勝進出できませんでした。
 不運が重なった彼の心中、スタッフの無念さを思うと、声をかけることが辛かったのですが、「残念だけど、でも参加できて良かった」と言います。「ここに参戦できる結果(全日本上位2名)を残せたから、権利がもらえた。誰でもがここにいられるわけではない。少ししか走ることができなかったけど、コーナーでは負けてはいないと思えた。一輝君と走りたいという願いは叶わなかったけど、同じ舞台にいられた。ここでレースが終わるわけじゃないから」と、長谷川は毅然と前を向いていました。

 長谷川にとって初めてのWGPは、苦い思い出になりましたが、彼だから感じることができたWGPが、彼の指針となり、飛躍につながるのだろうと思うのです。だから、果敢に挑戦した長谷川のこれからをとても楽しみにしているのです。
 PS.世界に一番近いクラスと言われる全日本JGP3、マシンも世界仕様となり、ワイルドカードで世界の強豪と渡り合う日は、帰ってこないのでしょうか?力を示すことで、過去のライダーたちのようにチャンスを掴む道ができると良いと願っています。