ホンダ世界選手権参戦60周年記念イベント
 今シーズンのロードレース世界選手権(WGP)日本GPの思い出第3回です。

 レースウィークの水曜日、ツインリンクもてぎ内のホンダコレクションホールで、ホンダの世界選手権参戦60周年の記念イベントが開催されました。参加者は、ジム・レッドマンさん、高橋国光さん、フレディ・スペンサーさん、ホルヘ・ロレンソとマルク・マルケスという豪華な顔ぶれでした。

 まず芝生の中庭で、CB750F(1982年にアメリカスーパーバイク選手権を疾走したマシン。デイトナ100マイルではスペンサーが乗り勝利した)、RC146(1965年イギリスのマン島TTで2位に)、RC166(1966年ロードレース世界選手権(WGP)250クラスで10戦全勝、メーカーズ、ライダーズチャンピオンに輝き、翌年も連覇した伝説のマシン)が並んで披露され、それぞれのサウンドを響かせてくれました。

 ロレンソは「CB750Fよりも、RC146やRC166のエンジン音の方が大きい、ハンドルが狭くて、本当に乗りにくそう。でも、これで勝てと言われたら、ベストを尽くす」と語っていました。
 そして室内に移動し、1982年WGP500に衝撃的なデビューを飾ったNS500、RC164、RC162(1961年に日本人ライダーで初めてWGP優勝を飾った高橋国光さんのマシン)が展示されていました。

 高橋さんは「本田宗一郎さんと、埼玉県の荒川の土手でテストしていたことを思い出しました。初優勝は、誰も僕が勝つなんて思っていなかったでしょう。コーナーが二つしかなかったレイアウト、そして、僕が60kgで、ジムさん(レッドマン)が70kgと、体重が軽かったことが勝因。みなさんチャンピオンなのに、私は日本人初優勝ということで、ここに呼んでもらえてうれしい」と謙虚。ですが、高橋氏が掲げた日の丸が、その後の日本メーカーに勇気を与え、躍進に繋がったことは間違いありません。

 レッドマン氏は、WGP125、250、500と3つのクラスでタイトルを獲得、マン島TTでも6度の優勝を飾っているレジェンド中のレジェンド。本の中でしか見たことのない人が、ニコニコと笑顔で動いているだけで、もう大感激。「もう僕は88歳、ここにいること自体がすごいことでしょう」と笑顔で当時を振り返ってくれました。「当時はたくさんのレースを走った。1日に380kmも走ったこともある。1日で3つのレースで勝ったこともあった。WGP250の争いは激しく、コンマ1秒差の優勝なんてこともよくあった。ルイジ・タベリ(1960年代に3度のWGP125チャンピオンを獲得)がケガを負い、急遽代理で出たレースがあって、バイクにも慣れてなくて大変だったけど、友達のためだと頑張って走り、2秒も差をつけて勝ったんだ。あの時のことは今でも忘れられない」と語りました。
 スペンサー氏は「1985年にWGP250と500にダブルエントリーしていた時は、たいへんだった。いつもは125、250、500という順番でレースが行われるが、イタリア・ムジェロでは500が先で、当時500に参戦していたエディー・ローソン、クリスチャン・サロンとバトルして勝ち、表彰台でシャンパンファイトしていたら、250の音が聞こえてきた。急いで250のグリッドに行って追い上げて勝った日のことが強く印象に残っている」とホンダでダブルチャンピオンとなった年を振り返りました。

 マルケスは「8度目のモトGPチャンピオンとして日本に来て、この記念すべきホンダ60周年のイベントに参加できることが嬉しい。そして、ホンダで歴史を作ったレジェンドと並び、自分もその歴史の中のひとりであることが光栄」と語りました。

 レッドマンさんは「僕らの時代は、負けず嫌いのバイクを愛するライダーが命がけで走り、たくさんの人が亡くなった。仲間を失う悲しさが、いつも隣にあった。命を失わないためにどうしたらいいのかと考えた時代。今のライダーは、あの頃に比べれば安全に走れるようになって、嬉しい。これからのライダーの安全を願っている」とメッセージ。

 高橋氏も「この世の中でレースは一番素晴らしい戦い。バイクレースは一人の力ではできない。支えるスタッフ、応援してくれる観客、みんながいて成り立つ。この素晴らしい世界への理解が広がって栄えてほしい」と願いを込めました。

 旧車のエンジン音にホンダの底力を感じ、レジェンドライダーと現役のモトGPライダーが、時を超えて繋がっていると思えた時間でもありました。ホンダって、やっぱりすごいなぁとシンプルに深く感動したイベントでした。その後のレースでは、マルケスが優勝を飾り、ホンダは最高峰クラスで4年連続25回目のコンストラクターズタイトルを獲得するのです。