第345回
2006年の最終戦バレンシアGP決勝日翌日のスペインの新聞。ヘイデンとペドロサのこの写真が実に感動的だった。いまは2013年。あれから7年。グランプリを転戦するようになって24年目のシーズンを終えたが、この写真は、印象に残る一枚である
2006年の最終戦バレンシアGP決勝日翌日のスペインの新聞。ヘイデンとペドロサのこの写真が実に感動的だった。いまは2013年。あれから7年。グランプリを転戦するようになって24年目のシーズンを終えたが、この写真は、印象に残る一枚である
 今年のモトGPクラスは、終盤戦に入ってハプニングの連続だった。オーストラリアGPのV・ロッシのイエローフラッグ事件、ポルトガルGPで起こったN・ヘイデンとD・ペドロサのチームメート同士の転倒。そして最終戦バレンシアGPでは、タイトル王手で迎えたロッシが転倒してポジションを落とし、前戦ポルトガルGPでタイトル王手からランク2位にダウンしたヘイデンが3位になって再度逆転するという劇的な結末だった。

 どんなスポーツでも、ホームで戦う側が圧倒的に有利である。グランプリはヨーロッパを中心に行われている。タビビト生活17年。常にアウエーで戦う日本人選手のさまざまな苦労を見てきたが、アメリカ人のヘイデンも、そういう意味では、ヨーロッパというアウエーで戦うひとりだった。

 初めてグランプリに来たヘイデンが、初めて走ったヨーロッパのサーキットはバレンシアだった。そのバレンシアでチャンピオンを決めたというのも感慨深い。というのも、初めて訪れたバレンシアで初めて食べた「パエリア」を、中華料理のチャーハンと間違えて大笑いされた話は、あまりにも有名である。

 このエピソードに代表されるように、ヘイデンは素朴で飾らない。コース上の戦いもフェア。人の悪口を言うこともなく、どんなリザルトでも、レースを終えて言い訳がないとなれば、誰もが応援したくなる。バレンシアに集まったファンの大半は6連覇に王手のロッシファンだったが、戦いを終えてみれば、ロッシをはじめ誰もがヘイデンのチャンピオン獲得を祝福していた。

 それにしても、チャンピオン獲得の裏には、いろんな物語があるものだ。その時のために、どのチームもいろんな準備をしている。日の目を見なかったチャンピオンTシャツは数え切れない。チャンピオンを獲得したときのために準備してあるリリースも同じだ。

 思えば、ヘイデンがタイトル王手で迎えたラスト2戦のポルトガルGPで、ホンダのPRをする外国人スタッフが、子どものころからこれまでのヘイデンの写真を整理していた。その翌日、チームメートのペドロサのブレーキミスで共倒れ。グラベルでヘイデンは絶望の表情を浮かべる。そのとき僕は、ダートトラックをするヘイデンのあどけない顔を思い出していたのだが、最終戦では、その罪滅ぼしとばかりにペドロサがヘイデンをサポートする。チェッカーフラッグを受けた2人がウイニングランをしながら肩を組んでいた。その写真がスペインの新聞に掲載されていたのだが、なんともいい光景だなあと思ったのだ。

 来年はヘイデンが「1」をつけて走る。「1」はチャンピオンだけがつけられるものであり、義務であると常々思っている。それだけに「69」ではなく、「1」をつけて走るというのも実にヘイデンらしいと思った。11月1日から来季に向けてのテストが始まる。11月1日、そして「1」番をつけるヘイデンの走りを、しっかり見ておきたいと思うのだ。(えんどう・さとし=GPライター)

■2006年11月1日掲載



 2006年バレンシアGPは、次々にいろんなことがあって、思い出深いレースのひとつである。そのときに写した写真を見ていると、つい、昨日のことのように思い出される。スペインの新聞に掲載されたニッキーとダニの写真は、先にも書いたが、実に印象深い。その後、日本に来た二人の会見があり、ダニに「同じような状況になったら、あなたもヘルプしてもらいたいか?」と質問したら、ニコリと笑うだけで、質問には答えてくれなかった。その理由はなんとなくわかるのだが、ダニらしいリアクションだなあと思った。新聞の「Pedrosa se muestra contento por el triunfo de Nicky Hayden」の見出しは、ニッキーを祝福するペドロサという意味だが、オーストラリアGP、ポルトガルGP、そしてバレンシアGPと続いた波乱のドラマを見てきた者には、なんとも感動の一枚となった。素晴らしい写真だなあと、つくづく思うのだ。
ゼッケン1をつけてバレンシア・テストに挑んだヘイデン。左手の人差し指で「イチバン」を掲げてくれた。これもまた、思い出深い一枚である
ゼッケン1をつけてバレンシア・テストに挑んだヘイデン。左手の人差し指で「イチバン」を掲げてくれた。これもまた、思い出深い一枚である
WSBへのチャレンジを終えたノリックが、最終戦バレンシアGP終了後のバレンシアテストで、V・ロッシのYZRーM1に乗った。ノリックからのリクエストにヤマハが応えたものだが、ノリックの最後のモトGPランになった
WSBへのチャレンジを終えたノリックが、最終戦バレンシアGP終了後のバレンシアテストで、V・ロッシのYZRーM1に乗った。ノリックからのリクエストにヤマハが応えたものだが、ノリックの最後のモトGPランになった
レッドブルのサポートを受けるスズキのJ・ホプキンスとF1チームのトロロッソのV・リウッツィの競演。二人は、バイクとクルマを乗り換えての初体験も。ホプキンスは2度のスピンでなかなか一周できず・・・という一日。F1に比べてモトGPマシンの排気音の大きさ?にあらためて驚く一日だった
レッドブルのサポートを受けるスズキのJ・ホプキンスとF1チームのトロロッソのV・リウッツィの競演。二人は、バイクとクルマを乗り換えての初体験も。ホプキンスは2度のスピンでなかなか一周できず・・・という一日。F1に比べてモトGPマシンの排気音の大きさ?にあらためて驚く一日だった
2006年のバレンシアGPは、いろんなことがあったレースだが、高橋裕紀が初日のフリー走行で転倒、右足3カ所を骨折してバレンシア市内の病院に運ばれ、手術を行った。この怪我と手術は、高橋裕紀にとって、完全復活に向けて長い道のりのスタートとなった
2006年のバレンシアGPは、いろんなことがあったレースだが、高橋裕紀が初日のフリー走行で転倒、右足3カ所を骨折してバレンシア市内の病院に運ばれ、手術を行った。この怪我と手術は、高橋裕紀にとって、完全復活に向けて長い道のりのスタートとなった