第382回
1999年1月1日(元日)の東京中日スポーツの一面を飾ったのはノリックだった。この写真がノリックの部屋には飾られていた
1999年1月1日(元日)の東京中日スポーツの一面を飾ったのはノリックだった。この写真がノリックの部屋には飾られていた
 ノリックの告別式が終わって数日がすぎた今も、ノリックを思い出すと泣いてしまいそうになる。告別式が終わった翌日、日本テレビのスタジオに出かけ、オーストラリアGPを見たときもたまらない気持ちになった。放送が始まってすぐにノリックの追悼VTRが流れた。18歳のノリックが「僕の夢は早く世界グランプリに行って世界チャンピオンになることです」と言い、その無邪気な表情に涙がこぼれた。

 ライダーで最も仲の良かった真ちゃん(伊藤真一)が「本当にかわいいやつだった」と告別式で涙を流したが、18歳のノリックの純真さは亡くなる32歳1カ月まで何も変わらなかった。

 ノリックがデビューしてから今までの思い出は数え切れない。その中でも東京中日スポーツの正月用の企画は最高に面白かった。スカイダイビング、ロッククライミング、新幹線、ヨット、たこ揚げ、スノーモービル……。「何をやるのもツナギを着てですもんね」とノリックは笑っていた。

 その中でも4000メートル上空からのダイビングは今振り返っても最高だった。「スカイダイビングでしょ。大丈夫ですよ」と言っていたノリックが高度が上がるにつれてビビッていた。雲ひとつない快晴。4000メートル上空から見下ろす関東平野。そして富士山の美しさは言葉では言い尽くせないものだった。「うっひょー。やばいですよ。やばい……」と最後まで言い終わらないうちに、インストラクターに背中を押され「うっわあ」という絶叫とともに落下していったのが、つい昨日のことのような気がする。

 東京スカイダイビングクラブの精鋭がノリックをサポート。空中でさまざまなフォーメーションを組み、それを撮影してくれた。どの写真も素晴らしく、最高の思い出になった。目黒区の自宅にはそのときの写真がリビングの一番目立つところに飾られている。ノリックにとっても最高の思い出になっていることが僕はうれしかった。

 思えば96年の日本GP、20歳でグランプリ初優勝を成し遂げ、オートバイレースで東京中日スポーツの一面を最初に飾ったのもノリックだった。天衣無縫の走りで彼がレース界に残した功績は言葉では言い表せないほど大きい。そのノリックの海外のレースをすべて見てきた。世界一を目指す彼と一緒に戦えたことが僕の勲章である。

 タビビト生活18年で初めて先週のオーストラリアGPを欠席した。「ノリックなんだから、日本にいてあげてください」とたくさんの人に言われ、その言葉に甘えた。これもノリックの人柄がなせる業なのかもしれない。大好きだったノリックを最後まで見送ることができて本当に幸せだった。

 これから僕はマレーシアへ。こんな気持ちで成田に向かうのは本当につらい。大ちゃんのときもそうだったが、思い出の分だけ、涙が出てくるのかもしれない。 (GPライター)

■2007年10月18日掲載
1996年の日本GPで優勝、4月22日の東京中日スポーツの一面を飾ったノリック。「なんで勝てたのかわからない」という名文句を残した
1996年の日本GPで優勝、4月22日の東京中日スポーツの一面を飾ったノリック。「なんで勝てたのかわからない」という名文句を残した


 スカイダイビングに挑むノリック。上空4000メートルから飛び降りる瞬間をパチリ。空中撮影はスカイダイビングのプロの方にお願いしたが、機内の撮影は僕が担当、着地地点では、トーチュウのカメラマンが待ち受けていた。最高に楽しかったというノリックだが、しばらく耳抜きが出来なくて、耳が痛いと言い続けていたのを思い出す。撮影は12月下旬に行った。ノリックとの思い出の中でも特に印象深い一日だった。