第383回
ノリックが2006年1月にスタートさせた「TEAM NORICK JR」。 その第1期生は、この3人だった。左から、近藤湧也(当時13歳)、山田誓己(当時11歳)、右側が野左根航汰(当時10歳)
ノリックが2006年1月にスタートさせた「TEAM NORICK JR」。 その第1期生は、この3人だった。左から、近藤湧也(当時13歳)、山田誓己(当時11歳)、右側が野左根航汰(当時10歳)
 「チーム・ノリック・ジュニア」の山田誓己(せな)君が筑波選手権のチャンピオンに輝いた。最終戦直前にノリックが交通事故で亡くなった。大きなショックと悲しみの中で手にしたタイトルだった。

自力チャンピオンを決めるためには3位以上というのが条件だったが、3台によるし烈な優勝争いの中で、優勝は出来なかったが、3位になりチャンピオンを決めた。

 筑波選手権では今季5戦して2勝を含む4回の表彰台。「勝ってチャンピオンを決めたかった」と悔しがるが、誓己君にとっては、一生忘れることのできないレースになった。

 つらいレースだったことは想像するに難くない。ノリックが事故で亡くなった数日後、目黒区の自宅を訪れた13歳の誓己君の痛々しい表情が忘れられない。通夜の日、ひつぎに横たわるノリックの側でいつまでも立ち尽くしている姿が印象的だった。

 その光景は、1993年に若井伸之選手がスペインGPの予選の事故で亡くなったときに、若井選手を兄のように慕っていた原田哲也選手が、涙をこらえながら若井選手の顔をじっと見つめていた姿を思い出させた。

 あのとき僕は、原田選手はなんて気持ちの強い選手だろうと思った。と同時に、志半ばにして逝った若井選手から原田選手は、大きな力を授かったような気がした。その後、原田選手は世界チャンピオンになるのだが、誓己君もまた、ノリックから大きな力を授かったに違いないと思ったのだ。

 もう一人、12歳になったばかりの野左根功汰君も才能のある選手である。「誓己も速いけれど、功汰もすごい」と、ノリックが自慢していた2人の選手が、これからどんな活躍を見せてくれるのか、楽しみで仕方がない。

 ノリックが亡くなって3週間が過ぎた。どこで誰と話していても、話題は自然とノリックのことになる。告別式が終わった翌週のマレーシアGPでは、ノリックと親交の深かった関係者に、事故やけがの状況を伝えることになった。あまりの無念さに誰もが、一様に目をうるませていた。

 今週はスペインのバレンシアでシーズン最終戦が行われる。ノリックのヨーロッパの活動の拠点はバルセロナだった。バルセロナとバレンシアは、クルマでひとっ走りの距離。今年のバレンシアGPは、どこにいても何をしていても、ノリックを思い出すことになりそうだ。(GPライター)

■2007年11月1日掲載



 「チーム・ノリック・ジュニア」は、ノリックが続けてきた「ノリックと親子でバイク教室」の延長戦上にあるもので、バイクの乗り方を教えた子供たちに、今度はレースを教える・・・という次のステップに踏み出すものだった。発表会は2006年1月。埼玉県の「サーキット秋ヶ瀬」で行われた。このとき、ノリックは「将来的に全日本、世界王者を目指す選手を育てたい」と語ったが、その志はノリックを世界のトップライダーに育てた父・光雄さんが引き継ぎ、13年にはウェビック・チーム・ノリックで野左根航汰がJ−GP2、同チームを離れたが山田誓己もTEAM PLUS ONE & ENDURANCEで全日本J−GP3でチャンピオンに輝いた。