第401回
2002年6月のオランダGPでテレビ局のリポーター役を務めるノリックと取材される大ちゃん。その後、テレビの解説に度々出演したノリックは、コメントが適切で楽しいとファンからも好評だった
2002年6月のオランダGPでテレビ局のリポーター役を務めるノリックと取材される大ちゃん。その後、テレビの解説に度々出演したノリックは、コメントが適切で楽しいとファンからも好評だった
 開幕戦カタールGPが終わり、帰国してからあっという間に1週間が過ぎてしまった。次の出発まで5日を残すだけである。これから先、7月下旬まで日本に帰ってくることがほとんどなくなる。そのため、あれもそれもこれもと予定を立てていたのだが、何もできないまま時間だけが過ぎてしまい、かなり焦っているのだ。

 帰国して真っ先にやらなくてはいけなかったのが確定申告だった。時間との戦いとなり期限ギリギリに何とか提出することが出来た。毎日、毎月ちゃんと整理していればこんなことにならないのにと思いながら、今年も同じことを繰り返してしまった。先週は原稿にも追われた。そのひとつが21世紀になってモトGPを走った日本人選手たちを紹介するという仕事だった。

 文字数はそれほど多くなく、簡単に片付くと思っていた。実際に書き始めればあっという間に終わる仕事だが、大ちゃん(故加藤大治郎選手)のところで手が止まった。

 しばし、自分の書いた原稿を読みふける。当時の記憶がよみがえる。大ちゃんが亡くなったときに書いた追悼文を初めて読み返すことになったのだが、たまらない気持ちになった。GP通算53戦17勝、27回の表彰台。250ccだけなら36戦17勝、25回の表彰台。あらためて日本が世界に誇る天才ライダーだったなあと思った。

 ノリック(故阿部典史選手)はトーチュウwebに『ノリック独占手記』が再掲載されている。この機会にすべて読み返した。ノリックに話を聞き、僕がそれをまとめてきた。若いころのノリックのストレートな言い方は実に痛快であり面白い。18歳で最高峰クラスにフル参戦。20歳で初優勝。ノリックもまた天才ライダーだった。

 2人がいない寂しさをあらためて痛感した。生きていたら……と思う。今でも2人の電話番号は携帯に残っている。かけてみようかなと何度も思う。

 今週、スポーツグラフィック・ナンバー創刊700号が発売された。その中に「ナンバーに刻まれた700の名言集」という特集がある。ひとつひとつ読んでいった。しかし、バイク選手の言葉はひとつもなかった。バイク選手が「ナンバー」に取り上げられることは少ないし仕方がない。

 しかし、世界王者が何人も生まれ、ナンバーでバイク原稿を書かせてもらっているひとりとして責任を感じた。もしかすると、選手の素晴らしい言葉を僕が拾ってあげられなかったからではないかと思ったからだ。

 桜を見て日本を出発。夏まで世界を旅するタビビト生活が始まる。日本人選手が素晴らしい成績を残せるようにと願うばかり。そして選手たちの輝く言葉をしっかり書きとめようと思っているのだ。(GPライター)

■2008年3月20日掲載
日本GPのノリック・大ちゃん応援シートのファンに配布されたTシャツ。飛び魚も愛用しているTシャツの一枚だが、これを着てパドックを歩いていると、じーーーーーーーっと見られ「素晴らしいTシャツだね」と声を掛けられることが多い。締め切りが重なって辛いときなどは、このTシャツを着てパワーをもらう
日本GPのノリック・大ちゃん応援シートのファンに配布されたTシャツ。飛び魚も愛用しているTシャツの一枚だが、これを着てパドックを歩いていると、じーーーーーーーっと見られ「素晴らしいTシャツだね」と声を掛けられることが多い。締め切りが重なって辛いときなどは、このTシャツを着てパワーをもらう


 大ちゃんが亡くなり、その数日後に書いたのが、この追悼文だった。4月6日の鈴鹿サーキットの事故から2週間、僕は四日市の駅前のビジネスホテルに滞在、大ちゃんが収容された三重県総合医療センターに通った。病院の外で何をするでもなく、ただただ大ちゃんの回復を願う。一日に一度か二度、病院の外に出てくる大ちゃんの父・隆さんから病状を聞いて、それを短い原稿にまとめてトーチュウに送信するという毎日だった。ナンバーに掲載された大ちゃんへの追悼文。何度読み返しても、悲しく、そして悔しい気持ちになってしまう。