第428回
2000年の日本GPで500ccで3勝目を挙げたときに、ノリックのパーソナルマネージャーをつとめていたミゲール・グスマンからプレゼントされた1975年のワインを飲んだ。「優勝したときに飲め」とノリックの誕生年のワインをひと箱プレゼントされたのだが、当時、25年が経つワインなので、コルクがうまく抜けず、「コルクがバラバラになっちゃって飲みにくかった」と笑っていたのを思い出す
2000年の日本GPで500ccで3勝目を挙げたときに、ノリックのパーソナルマネージャーをつとめていたミゲール・グスマンからプレゼントされた1975年のワインを飲んだ。「優勝したときに飲め」とノリックの誕生年のワインをひと箱プレゼントされたのだが、当時、25年が経つワインなので、コルクがうまく抜けず、「コルクがバラバラになっちゃって飲みにくかった」と笑っていたのを思い出す
 オーストラリアGPを終えて成田に到着した日、3人の日本人科学者のノーベル物理学賞の受賞が決まった。南部陽一郎・シカゴ大学名誉教授は「素粒子物理学と核物理学における自発的対称性の破れの発見」。益川敏英・京都産業大学教授と日本学術振興会・小林誠理事は「クォークの世代数を予言する対称性の破れの起源の発見」。3人の科学者ともに物理学の基本理論の確立に大きな貢献を果たした研究が認められての受賞とのことだが、日本人としてうれしいニュースだった。

 その中のひとり、益川敏英さんのインタビューを翌日の朝にテレビで見た。一夜明けた今の気持ちは? という質問に「眠たいです」と答えて会場の笑いを誘っていた。そして興味深かったのは出勤する時間、入浴する時間などが、分刻みで決められているということだった。その理由を益川教授は「逆算すると、そういう時間になってしまうんですね」と笑っていた。

 そんな話を聞きながら僕は、ノリックを思い出していた。レースウイークは最低でも8時間は寝る、と決めていた。となれば、朝起きる時間から逆算すると午後10時に寝なければならない。だから、眠れないときは睡眠導入剤を服用してでも強引に寝る。人一倍トレーニングをしている選手であり「眠くなったら寝ればいい。ノリックなんて一晩寝なくても大丈夫だよ」と言っても、聞く耳を持たなかった。

 思えば、ブラジル・リオGPでこんなことがあった。ホテルから歩いて10分ほどのレストランにノリックや仲間たちと食事に出かけた。食事が終わって、さあ、帰ろうかというときに猛烈なスコールがきた。ちょっと待てば雨が上がることはわかっているのだが、いま帰らなければ10時にベッドに入れないからとノリックは、大雨の中をずぶぬれになって帰っていった。あとで聞くと、ホテルに着いたときに、ちょうど雨は上がったのだとノリックは笑っていた。でも、そうしないとだめなんだということが痛いほどわかる。なぜなら、決めた通りに物事が進まないと、それだけでストレスになるのだから仕方がない。

 走り出す前の決め事もたくさんあった。それはレースに限らず、テストのときも同じだった。レーシングスーツに着替え、ヘルメットをかぶって走り出すまでに、走り出す時間から逆算したスケジュールが生まれる。ウォームアップやストレッチは分刻みでなにをやるかも決まっていたし、それが終わり、ピットに行って自分の椅子に座る時間も同じである。ヘルメットをかぶるタイミング。グローブをつけるタイミングもすべてノリックが決めたスケジュール通り。これは誰がなんと言っても変えられない。

 そういう状態なので、マレーシアのセパンで行われていたテストで、こんな出来事があった。雨雲がぐいぐいと押し寄せ、真っ白な雨のカーテンがじりじりと迫ってきていた。あと30分もすればスコールがサーキットを襲うだろうということは、セパンのテストに何度も来ていれば、だれでもわかることだった。そうなれば、何時間かはドライコンディションで走れなくなる。そこでエンジニア氏が「ノリック、ちょっと確認したいことがあるので、1周か2周走ってくれる?」とお願いしたことがあった。

 そのときは、セッティングを確認するだけの走行だった。しかも、もうすぐ雨が来るのだから、ささっと着替えて走り出せばいいのに思うのだが、ここでも決め事は変えられない。ストレッチが終わりツナギに着替える。そして、さあ、行くぞとなったときにざざ〜〜と雨が降ってきたことがあったのだ。

 益川教授の話を聞きながら、そんなエピソードにはことかかさず、そして、いつも笑わせてくれたノリックを思い出していた。どの世界でも、もしかすると天才というのはそういうものなのかもしれない。

 帰国した10月7日は、ノリックの命日だった。翌日、横浜の龍雲寺に出かけるとノリックの墓は花であふれていたのだ。(GPライター)

■2008年10月9日掲載
これも2000年の写真。ツインリンクもてぎで開催されたパシフィックGPのイベントでカート大会が行われたときのもの。ノリックと大ちゃんという日本が生んだ天才ライダーのツーショット
これも2000年の写真。ツインリンクもてぎで開催されたパシフィックGPのイベントでカート大会が行われたときのもの。ノリックと大ちゃんという日本が生んだ天才ライダーのツーショット
これは2002年の写真。天才ライダーとして破竹の快進撃を続けるV・ロッシにロッシが唯一サインをもらったというノリックがインタビューする貴重な一枚
これは2002年の写真。天才ライダーとして破竹の快進撃を続けるV・ロッシにロッシが唯一サインをもらったというノリックがインタビューする貴重な一枚
中学生のときにアメリカに渡り、一緒にトレーニングしたK・ロバーツJr。グランプリではチームメートになったこともあり、スペインではバルセロナ郊外のシーチャスに二人とも住んでいた。仲が良く、いい年をして、いたづらばっかりしている二人という印象だった。やったりやられたり・・・。笑えないいたずら(やりすぎってこと)や、エピソードがたくさんある
中学生のときにアメリカに渡り、一緒にトレーニングしたK・ロバーツJr。グランプリではチームメートになったこともあり、スペインではバルセロナ郊外のシーチャスに二人とも住んでいた。仲が良く、いい年をして、いたづらばっかりしている二人という印象だった。やったりやられたり・・・。笑えないいたずら(やりすぎってこと)や、エピソードがたくさんある


 ピットでマシンのセットアップの変更を待つノリック(2001年)。走行前はやたらに緊張するノリックだが、すべての儀式?を終えて走り出した後は、明るくて表情ゆたかなノリックに戻る。ピットでカメラを向けると、あわててレーシングスーツのファスナーを上げて、スポンサーの帽子をかぶる選手が多いが、ノリックはいつも思いのままであり、いろんな表情を見せてくれるのでとても楽しかった。タビビトがカメラを向けた瞬間、カメラを意識して決めのポーズを見せてくれることも。これはもう、阿吽の呼吸であり、それがわからないカメラマンは、ノリックの“いい写真”を撮ることが出来ない。知り合いの日本人カメラマンは、ノリックに「・・・もう、タイミング悪いんだもの。せっかくシャッターを押すのを待ってあげたのに・・・」といつも言われていたのを思い出す。