第430回
2008年シーズンは、第15戦日本GPでV・ロッシがモトGPクラスのタイトルを決め、第16戦オーストラリアGPでM・ディ・メグリオが125ccのタイトルを獲得、第17戦マレーシアGPでM・シモンチェリが250ccのタイトルを獲得した。イタリア人としては13人目、通算22回目の250ccチャンピオンだった。タイトルを決めたシモンチェリは、まるで空を飛ぶような気持ちだ、と両手を広げて喜びを表現していた
2008年シーズンは、第15戦日本GPでV・ロッシがモトGPクラスのタイトルを決め、第16戦オーストラリアGPでM・ディ・メグリオが125ccのタイトルを獲得、第17戦マレーシアGPでM・シモンチェリが250ccのタイトルを獲得した。イタリア人としては13人目、通算22回目の250ccチャンピオンだった。タイトルを決めたシモンチェリは、まるで空を飛ぶような気持ちだ、と両手を広げて喜びを表現していた
 マレーシアGPを終えて火曜日の朝に帰国した。そして、24時間後の水曜日の朝、スペインに向かうために、再び、8時28分発の成田エクスプレスで横浜から成田空港に向かっている。こういうときは、自宅から空港へスーツケースを送ることができないので実に大変である。朝の通勤通学ラッシュの時間帯に相鉄線の最寄り駅から横浜駅まで電車に乗らなければいけない。スーツケースとキャリングバックをころころと引っ張って満員電車に乗るのは、かなり勇気がいる。せめて1時間早いか遅いかという時間なら、それほど迷惑をかけないですむのにと恐縮してしまうのだが、大きな荷物を持っている人間など思いやる余裕もないのだろう。こづかれ、押され、ぶつけられ、露骨に嫌な顔をしていく人も多く、全く、やれやれの出発になってしまうのだ。

 おまけに自宅を出るまでに書き上げなくてはいけない原稿が2本あり、最初の一本を途中まで書いたところで睡魔に襲われあえなくダウン。目が覚めたときには自宅を出発する1時間前。大慌てで準備をして最寄り駅にむかった。横浜駅に着くと、ちょっと時間があったので開店前の横浜高島屋の入り口の前に陣取ってパソコンを広げ、原稿を仕上げて携帯電話で送った。一日のうちで最も人があふれる時間帯。普段ならとてもやれない芸当だが、こういうときは周囲のことなど全く気にならないから不思議である。

 その昔、電話の受話器と同じかたちをした「カプラー」という装置で原稿を送っていた時代がある。マレーシアテストのときに、近くのショッピングセンターの公衆電話で受話器にそのカプラーを巻きつけ原稿を送っていたら、周りが黒山の人だかりになって驚いたことがある。ドイツの高速道路では警察官に「おい、何してんだ?」と怪しまれ、いろいろ調べられたこともある。それに比べたら、今は携帯電話やWifiでさくさくと送れてしまうのだから本当に便利になったものだ。

 高島屋の前から原稿を送り、成田エクスプレスに乗り込んでから、休む暇もなく2本目の原稿に取りかかった。キーをたたくときは、音が出ないように気をつかう。それがマナーだと思うのだが、その昔、そんなことも分からないフランス人のおっさんに「おい、もう少し静かに打て」と文句を言ったことがある。皆、同じことを思っていたのだろう。ほとんどの乗客が「いいぞ!」と、応援の目線を送ってくれたことがあった。

 それからしばらくして「エンドーさん、成田エクスプレスでガイジンとけんかしてたでしょ」と知り合いに言われた。そんな出来事をすっかり忘れていたタビビト。「オレの彼女がさ、そのガイジンの横に座っていたんだよ。顔が黒くてでっかいひと。あれ、エンドーさんでしょ。ガイジン怒鳴りつけてたって言ってたよ」と言われたのだ。

 返す言葉もなく「はい、確かに。世の中、実に狭い」と大笑い。今にして思えば、そのフランス人のおっさんも周囲のことなど気にする余裕もないほど、時間に追われていたんだろうなと思うのだ。

 まもなく成田空港。今回も無事に出発前に書き上げることができてほっとしている。終わりよければすべて良し。いよいよグランプリも最終戦である。 (GPライター)

■2008年10月23日掲載
モトGPクラスはV・ロッシがシーズン9勝目。最高峰クラス通算71勝目を挙げた。そして通算150回目の表彰台だった。2位にD・ペドロサ。3位には翌年のレプソル・ホンダ入りが決まっているA・ドビツィオーゾが入った
モトGPクラスはV・ロッシがシーズン9勝目。最高峰クラス通算71勝目を挙げた。そして通算150回目の表彰台だった。2位にD・ペドロサ。3位には翌年のレプソル・ホンダ入りが決まっているA・ドビツィオーゾが入った
A・ドビツィオーゾのホンダワークス入りが決まり、同じチームで250ccクラスに出場していた高橋裕紀がその後継者としてモトGP参戦が決まった。念願のモトGPクラスのチャレンジが決まって気合満点の高橋裕紀だったが、アプリリア、KTM勢の前に4位がやっと。ホンダ勢では最上位だった
A・ドビツィオーゾのホンダワークス入りが決まり、同じチームで250ccクラスに出場していた高橋裕紀がその後継者としてモトGP参戦が決まった。念願のモトGPクラスのチャレンジが決まって気合満点の高橋裕紀だったが、アプリリア、KTM勢の前に4位がやっと。ホンダ勢では最上位だった
KTM最後のシーズンになることが決まっていた小山知良は、予選7番手から一時は5位に浮上するも11位がやっとだった。ワークス参戦が最後のシーズンになることが決まっていたKTMは、250ccクラスに集中、125ccクラスの開発を事実上ストップさせていた。そのためアプリリア勢の前に苦戦が続いていた
KTM最後のシーズンになることが決まっていた小山知良は、予選7番手から一時は5位に浮上するも11位がやっとだった。ワークス参戦が最後のシーズンになることが決まっていたKTMは、250ccクラスに集中、125ccクラスの開発を事実上ストップさせていた。そのためアプリリア勢の前に苦戦が続いていた


 マレーシアGP開幕前にKTMがグランプリから撤退するという衝撃のニュースが流れた。チームスタッフはだれも聞かされていなかったという突然の決定。まさに青天の霹靂であり、KTMの250ccチームのライダー、スタッフに動揺が走った。しかし、気持ちを切り替えて大会に挑んだ青山博一は、2年連続PP、決勝では2位と健闘した。これが、リーマンショックの景気低迷によるグランプリ界最初の撤退劇となったが、このKTMの撤退が、青山博一にとっては、翌年のタイトル獲得につながることになった。