第432回
WSB初開催のポルティマオ・アルガルベ・サーキット。一周4.592km。アップダウンに富んだサーキットで、1コーナーがいきなりのダウンヒル。ブラインドコーナーが連続するので、コースに慣れるまでが大変なサーキットだ
WSB初開催のポルティマオ・アルガルベ・サーキット。一周4.592km。アップダウンに富んだサーキットで、1コーナーがいきなりのダウンヒル。ブラインドコーナーが連続するので、コースに慣れるまでが大変なサーキットだ
 スーパーバイク最終戦ポルトガル大会が、完成したばかりのポルティマオで開催された。最寄りの空港は南部の街ファロ。到着ロビーのツーリストインフォメーションを訪れると、予想通り、サーキットのパンフレットがたくさん置かれていた。それを見るとファロからポルティマオまでは約70km。大西洋を左手に見ながらA22を西に向かう。そして、ポルティマオの街を通過して3番出口で降りると、そこから5kmのところにサーキットがあるようだ。

 沢木耕太郎さんの「深夜特急」の終着点サグレスを訪れるために、このあたりは何度も通ったことがある。サーキットからサグレスまで30分もあればいけそうな場所だということを知って驚いてしまった。

 「なんだなんだ簡単じゃないか」とレンタカーを受け取って、イザ、出発。ポルティマオの街を過ぎると「Autodromo」の標識が出てきた。初サーキットとしてはあまりにも順調で拍子抜けしてしまう。

 しかし、ここからが大変だったのだ。

 3番出口が工事中で閉鎖されていた。仕方がないので、ひとつ手前の4番出口へと引き返したのだが、まったく道案内がない。そこからはタビビトの勘を頼りに、山を越え畑を突っ切って、なんとかサーキットにたどり着いたのだ。

 到着したのは木曜日の昼だった。パドックには、チームのトレーラーが整然とならんでいた。「ねぇねぇ、このトレーラーたちは、どの道でここにたどり着いたの?」と知り合いに尋ねれば、「いやもう、大変だったよ」とのこと。ここにたどり着くには、なんと、タビビトが通ってきた道しかなく、そこを走ってきたのだという。

 乗用車がすれちがうのがやっとの田舎道。山を越え、畑を突っ切るだけではなく途中にはクルマが1台しか通れない交互通行の鉄道のガード橋があり、トレーラーが通過したら壊れそうな橋もあった。「まさか……」と思っていたのだが、トレーラーのあっちこっちそっちをガシガシ擦りまくってサーキットに到着したチームからは、苦情の嵐だったのだそうだ。

 しかも水曜日の時点では電気が点かず、水も出ない。サーキット全体が工事現場と化していた。木曜日になってもそれは変わらず、本当にレースができるのだろうかという状態だったが、金曜日に無理矢理の開幕。サーキット周辺は依然として工事真っ最中で、工事現場でレースが行われている状態。そして、工事のため閉鎖されていた3番出口からサーキットに通じる道が開通したのは、土曜日の午後のことだった。

 とまあ、相変わらずのドタバタのこけら落としのレースだったが、コースは素晴らしかった。芳賀紀行が「面白いけれど難しい。ラグナセカのコークスクリューが何個もあるようなサーキットだね」と言っていた。タビビトも連日スクーターで難コースを疾走、ジェットコースターサーキットを満喫してきたのだ。

 F1チームのトロロッソがデモランを行い、ゲストでM・シューマッハーが来場。ポルトガル空軍のアクロバット飛行もあるなど大会は盛り上がっていた。大会が終わった日曜日の夜は、完成したばかりのピカピカのアスファルトの道をすいすい。あと3日早く完成していれば、なんてことはなかったのに、と思いつつ、いつも締め切りギリギリにならないと原稿が書き出せないタビビトも同じだよなあと、反省しきりの最終戦だったのである。(GPライター)

■2008年11月6日掲載
コース中程にあるダウンヒルでは、ご覧のようにフロントが高々と浮く。写真は、ハガノリこと芳賀紀行の豪快なウイリーだが、予選10位、決勝は、第1レースはミッショントラブルでリタイヤ、第2レースはジャンプスタートのペナルティで14位と散々だった。08年はT・ベイリス、T・コルサーに続いて総合3位だった
コース中程にあるダウンヒルでは、ご覧のようにフロントが高々と浮く。写真は、ハガノリこと芳賀紀行の豪快なウイリーだが、予選10位、決勝は、第1レースはミッショントラブルでリタイヤ、第2レースはジャンプスタートのペナルティで14位と散々だった。08年はT・ベイリス、T・コルサーに続いて総合3位だった
加賀山就臣の最終戦は予選13位。決勝15位/23位だった。本来ならユッキーが得意とするサーキットだが、思うような結果を残せなかった。総合11位でシーズンを終えた
加賀山就臣の最終戦は予選13位。決勝15位/23位だった。本来ならユッキーが得意とするサーキットだが、思うような結果を残せなかった。総合11位でシーズンを終えた
WSBフル参戦一年目の清成龍一は、総合9位。最終戦は8位/11位。玉田誠は総合20位。最終戦は19位/24位だった
WSBフル参戦一年目の清成龍一は、総合9位。最終戦は8位/11位。玉田誠は総合20位。最終戦は19位/24位だった


 いま、当時の記事を検索していて、あれ?っと思った。現地に行っているのに、まったく記事が掲載されていなかったのだ。現地にいっていたのに・・・。きっと紙面がなかったんだろうなあと思う。このレースは、すでにチャンピオンを決めているT・ベイリスの引退レースとなり、PPから両レースで1位という素晴らしいラストランだった。ベイリスの指名を受けてハガノリは、09年にドゥカティに移籍することが決まっていた。このレースを終えてハガノリが、ドゥカティのトレーラーに荷物の引っ越しをしていたのが懐かしい。

 最終戦のパドックには、WGPからWSBにスイッチする中野真矢、全日本JSBチャンピオンになった中須賀克行がテストに参加するために訪れていた。スーパースポーツ世界選手権に参戦の藤原克昭は、08年、ホンダからカワサキに移籍。総合22位と厳しい一年だった。