第436回
青木拓磨(中)の「2009ダカール・ラリー」の壮行会は2008年11月30日に行われた。約200人の著名人が駆けつけた。左はナビを努めることになる青木孝次さん
青木拓磨(中)の「2009ダカール・ラリー」の壮行会は2008年11月30日に行われた。約200人の著名人が駆けつけた。左はナビを努めることになる青木孝次さん
 来年1月3日にブエノスアイレスをスタートするダカールラリーに青木拓磨が出場することになった。この数年、タイで行われているFIAアジアクロスカントリーラリーに出場して好成績を収めていたが、まさかダカールラリーに出場するとは思わなかった。

 拓磨を励ます会の案内状をもらったのは先月中旬のことだった。日程を見ると、スペインテストから帰国した日の新宿のホテル。行けるのだろうか?と思っていたが、ギリギリ間に合った。

 会場に到着すると、拓磨を応援する友人や関係者が大勢駆けつけていた。予想以上の人が参加することになり、急きょ、広い会場に変更したと聞いた。拓磨の人柄と人脈の広さを感じさせるエピソードだが、冒頭のあいさつで「本当にこんなに大勢の人が来てくれるとは思わなかった。今日来てくれた人のことは一生忘れません」と、涙ながらに語った言葉に、思わずもらい泣きしてしまった。

 拓磨は全日本ロードで活躍しグランプリにデビューしたころから気持ちがいいほど真っすぐな青年だった。常に元気あふれる走りをし、恐るべき才能は誰もが認めるところだった。どこまで上り詰めるのかと思っていた直後、テストコースの事故で脊髄(せきずい)を損傷。以来、車いす生活を強いられている。

 しかし、絶望のふちからはい上がった拓磨はレーシングカートで走る喜びを取り戻し、子供たちのバイク教室を開催するなどサーキットへ頻繁に姿を見せて後輩たちの指導に当たった。そして、アジアクロスカントリーの実績が認められ、世界一過酷なダカールラリーに出場することになった。

 最後に壇上に立った拓磨は、こみ上げる感情を抑えながら、これまでの10年を熱く語った。97年の豪州GPでの2位表彰台。不慮の事故で亡くなった大ちゃん(加藤大治郎)、そしてノリック(阿部典史)のこと。「今こうして再びレースに復帰できることをうれしく思う」と声を詰まらせたが、その言葉もまた真っすぐ心に響いてくるものだった。

 そんな拓磨の言葉に、いろいろな記憶がよみがえってきた。10年前、入院していた宇都宮の病院に「ドラゴンボール」全巻を持って見舞いに行ったのだが、この日の拓磨はまさに「スーパーサイヤ人になったなあ」と思わせるものだった。

 スペインのヘレスから成田を経て新宿へ。長い一日だったが、拓磨の顔を見たら疲れも吹き飛んだ。1万kmに及ぶダカールラリーは想像を絶するレースだが、「車いすのハンディを乗り越えて世界中を走り続けます」という拓磨がまぶしかった。「頑張ってこいよ」と手を差し出すと「完走してきます」と、ここでも拓磨らしく、元気あふれる握手を返してくれたのだ。 (GPライター)

■2008年12月4日掲載
当時34歳の青木拓磨。家族と壇上に上がり喜びをかみしめていた。あれから6年。ミニバイクレースを主催、ラリー、4輪レースに出場と、拓磨の活躍の場はどんどん広がるばかりである
当時34歳の青木拓磨。家族と壇上に上がり喜びをかみしめていた。あれから6年。ミニバイクレースを主催、ラリー、4輪レースに出場と、拓磨の活躍の場はどんどん広がるばかりである