第439回
飛び魚はいまオーストラリアにいて、当時の写真を探すことができません。これは、今年のアラゴンGPで撮影した三原壮紫と上田昇監督。三原はルーキーズカップで今季2勝。将来が楽しみなライダーですよ
飛び魚はいまオーストラリアにいて、当時の写真を探すことができません。これは、今年のアラゴンGPで撮影した三原壮紫と上田昇監督。三原はルーキーズカップで今季2勝。将来が楽しみなライダーですよ
 上田昇氏が主催するミニバイクレース「チーム・ノビー杯」の取材で岐阜県・明智に出かけた。自宅のある横浜から新幹線に乗って名古屋へ。中央線に乗り継いで恵那へ向かった。ここで明知鉄道に乗り換えるのだが、切符が昔ながらの厚紙だったことに驚いてしまった。駅員が改札口ではさみを入れるのも懐かしい。車両はディーゼルカーで、1両。後乗り前降りのワンマンカーというのが今風だったが、渓流に沿って、森の中をゴトゴト突き進んでいく光景はなかなかのものだった。

 どの駅にも、ハイキングコースの案内板がある。途中、日本一の急こう配駅と書かれている飯沼駅があった。終点の明智までは約50分。停車駅は10。途中、地元の人が何人か乗ってくるのだが、ひと駅だけで降りていくというノンビリした路線だった。案内書を読むと、このディーゼルカーは「アケチ」という型式で、急こう配が続くこの路線のために造られた専用車両らしい。乗り物が大好きなタビビトにとってはうれしさと驚きの連続だった。

 明智駅に到着するとノビーが迎えに来てくれた。駅からクルマで5分ほどのところに「ヒルトップ明智サーキット」がある。到着して、あいさつのために事務所を訪れると、青木宣篤と拓磨の全日本時代のポスターがはられていた。「ここは青木兄弟がいつも来てくれていたんですよ」とサーキットのスタッフ。数日後、高崎の宣篤の家にもちつきに出かけたのだが、明智の話をすると宣篤が「ヒルトップ明智というサーキットの名前は拓磨がつけたんだよ」と教えてくれた。

 このときに、新幹線と在来線と第3セクターのローカル線を乗り継ぐ旅は、思わぬところで一本の線でつながったなあと思ったのだ。世界で活躍する選手たちとともに、サーキットからサーキットへ休みなく移動するタビビトの旅を新幹線にたとえるなら、在来線とディーゼルカーで明智へ向かった旅は、これから世界に飛び出す子供たちと、世界で活躍するライダーたちの原点をたどる旅だった。

 今年のオフは、テストが少なかったこともあり、これまでになく日本にいる期間が長かった。しかし、普段、ゆっくり話す機会のなかった選手や、久しぶりに会えた友人も多く、有意義な時間を過ごせたような気がする。そして何よりも、ノビーと宣篤が、子供たちにバイクの楽しさを教えている姿を見ることができて良かったなあと思ったのだ。

 彼らがGPにフル参戦していた95年、ノビーと宣篤は、日本のレース界を盛り上げるために「トーチュウ」のステッカーを無償ではって世界のサーキットを走ってくれた。あれから13年。ライディングスクールの先生になったノビーと宣篤の教え子が元気いっぱいにミニバイクコースを走っている。1年後、成長した若い選手たちの姿を見届ける旅が、いまから楽しみで仕方がない。 (GPライター)

■2008年12月25日掲載



 1991年の日本GPで衝撃のデビューウインを飾ったノビーこと上田昇氏は、それからの日本人選手の活躍の先駆者となった。世界チャンピオンにはなれなかったが、通算13勝。日本を代表するライダーのひとりである。現在は若手ライダーの育成に力を注いでいる。グランプリ関係者とのコネクションでは日本人ナンバー1で、日本人ライダーの世界への橋渡し役を担っている。