第447回
2009年2月23日、富沢祥也(当時18歳)が千葉県立匝瑳(そうさ)高校の同級生に見送られてフランスに向けて出発した。中央に縦に並ぶのが富沢三兄弟。手前から三男・恭也。長男の祥也、最後列が次男の亮哉。そして同級生たち。GPでもすぐに人気者になったショーヤだが、高校生時代も人気者だったことを感じさせる出発だった
2009年2月23日、富沢祥也(当時18歳)が千葉県立匝瑳(そうさ)高校の同級生に見送られてフランスに向けて出発した。中央に縦に並ぶのが富沢三兄弟。手前から三男・恭也。長男の祥也、最後列が次男の亮哉。そして同級生たち。GPでもすぐに人気者になったショーヤだが、高校生時代も人気者だったことを感じさせる出発だった
 2月上旬のマレーシア遠征で真っ黒に日焼けしたこともあり、再び、タビビトの国籍不明ぶりに磨きがかかっている。

 先日、成田空港へ富沢祥也選手の見送りに出かけたときのこと。横浜から成田エクスプレスに乗り込み通路側に座った。次の停車駅の品川から乗り込んできた日本人の中年女性に「エクスキューズミー」と話しかけられた。そこからどう言っていいのか言葉が出なかったのだろう。窓側の席に座りたいのだろうということをしぐさで示してきた。そのときタビビトはキオスクで買ったトーチュウを広げていた。日本のスポーツ新聞を読んでいるにもかかわらず「エクスキューズミー」である。もしかすると、日本語の読める外国人だと思ったのだろうか。
小学2年生のときに両親とハワイに行ったことがあるというが、それ以来の外国となった。高校2年生のときに、いつでも海外のレースに行けるようにと準備したパスポート。初チェックインでは、いきなりビジネスクラスにアップグレードされたが、「エコノミーとビジネスの違いが良くわからない」という初々しい出発だった
小学2年生のときに両親とハワイに行ったことがあるというが、それ以来の外国となった。高校2年生のときに、いつでも海外のレースに行けるようにと準備したパスポート。初チェックインでは、いきなりビジネスクラスにアップグレードされたが、「エコノミーとビジネスの違いが良くわからない」という初々しい出発だった
 その翌日、今度は豪州に向かうシンガポール航空での出来事である。この便には数人の日本人キャビンアテンダンスが乗っていた。食事のサービスのときに日本人には日本語で、外国人には英語で話しかけている。そして、日本の新聞を広げているタビビトの順番がきた。目と目がばっちり合った。そのときに日本の新聞を間違いなく確認したと思われるのだが「フィッシュ、オア…」と問いかけられ「和食を…」というと「あっ、すいません」と苦笑いを浮かべていた。

 マレーシアで真っ黒くろすけになって2週間。こういうハプニングが続くと、いよいよシーズンが始まるのだなとうれしくなってしまう。というのもシーズン中になればこんなエピソードは枚挙にいとまがないからだ。日本に帰る便では、ほぼ100%の確率で外国人用の入国カードを渡される。その反対に、マレーシアへ飛ぶフライトでは、外国人用の入国カードを渡してくれなかったりするのだ(オレはマレーシア人かいと思う)。

 どの国でも共通しているのは、国籍不明人には、まず英語で話しかけることである。中でも傑作だったのは欧州に向かう機内で関西のおばさん集団に囲まれたときのことだ。「ねぇねぇ、この人に席を替わってもらったらええんとちゃう。あなた英語話せるでしょ。あなたが言いなさいよ」なんて会話が聞こえたのだが、まさか自分のことを言われているとは思わなかった。

 しばらくして、そしてグループの長とおぼしき人がもどってきて、「あれ?この人替わってくれへんの? もう本当になんやの…」と、どうせ言葉は通じないからいいだろうという感じで飛び魚を見て言い放った。

 その直後、ボールペンを落としたので「あ、落ちましたよ」と声をかけると、ぎょっとした表情になりながら、それでもまだ日本人だと認めたくなかったのだろうか。タビビトに向かい「サンキュー」と言ってきたのだ。

 ここで書ききれない数々の国籍取り違え事件。今回は成田&機内編の一部を紹介したが、それ以外はまた別の機会に。今週は、一年で最も日に焼ける豪州遠征である。その後に起きる事件の数々は容易に想像がつくのだ。(モーターポーツジャーナリスト)

■2009年2月26日掲載



 数多くのライダーの出発を見送ってきたが、ショーヤの初遠征ほどにぎやかな旅立ちはなかった。ショーヤは勿論のこと、同級生たちも、このとき高校3年生。同級生たちは成田空港まで親と一緒に見送りに来ているので、単純に写真に写っている倍の数の人たちに見送られての初遠征だった。ショーヤの写真は本当にたくさんあるが、このときの写真は、実に思い出深いものがある。ショーヤは、その翌年(2010年)の9月5日、サンマリノGPの決勝中の事故で亡くなった。このとき、ショーヤは19歳だった。