第450回(最終回)
2002年、テレビのレポーターとして大ちゃんにインタビューするノリック。日本のレース界に大きな足跡を残した二人の貴重なカット。思い出深い一枚である。02年は、2ストローク500ccから4ストローク990ccへと最高峰クラスが大きく変わろうとしているシーズン。03年に向けて、2輪メーカーが大挙モトGPクラスに参戦することが決まり、シート争奪戦が厳しい時代だった
2002年、テレビのレポーターとして大ちゃんにインタビューするノリック。日本のレース界に大きな足跡を残した二人の貴重なカット。思い出深い一枚である。02年は、2ストローク500ccから4ストローク990ccへと最高峰クラスが大きく変わろうとしているシーズン。03年に向けて、2輪メーカーが大挙モトGPクラスに参戦することが決まり、シート争奪戦が厳しい時代だった
 タビビトノキがスタートしたのは2000年4月のことだった。この年は、大ちゃんこと故加藤大治郎選手がロードレース世界選手権(WGP)にデビューし、4月上旬に鈴鹿で第3戦日本GPが開催された。その週に鈴鹿のプレスルームで第1回を書いたのだが、1回目というのは不思議と記憶に残っているものだ。あれから9年が経ち、タビビトノキは最終回を迎えた。
2001年、ドイツGPの開幕前の記者会見で談笑するノリックとV・ロッシ。ノリックはロッシがサインをもらった唯一のライダーである。これもまた、思い出深い一枚となった
2001年、ドイツGPの開幕前の記者会見で談笑するノリックとV・ロッシ。ノリックはロッシがサインをもらった唯一のライダーである。これもまた、思い出深い一枚となった
 90年にスタートした「GPサーカス」は、「GPロード・国境を越えて」にタイトルが変わり99年の春まで続いた。そしてタビビトノキは09年まで。どうやら末尾9というのは一区切りの年のようだ。

 いま、昔の原稿を読み返すと、そのときの情景をはっきり思い出すことができる。9年間書き続けたタビビトノキで一番印象深いのは、アメリカ同時多発テロ事件が起きた01年9月11日のことだ。このとき僕はエストリルにいて、ポルトガルGPのウイーク中の食事のことを書いている。最初に印刷した紙面はそれで良かったのだが、その後、世界に衝撃が走る事件が起きて紙面がそっくり差し変わる。タビビトノキは連載なので紙面に残ることになったのだが、最終面を見た知り合いから「新聞の紙面が変わるということを知らない人が見たら、この人、何をのん気なこと書いてんだって思われるよ」と言われた。
2001年、250ccクラスでチャンピオン争いを繰り広げた加藤大治郎と原田哲也。大ちゃんは250ccクラス最多の11勝を含む13回の表彰台。哲ちゃんは、3勝13回の表彰台。この二人で16戦中14勝を挙げた。日本人のジャーナリストであることが、これほど誇りに思えた時代はなかったかも知れない
2001年、250ccクラスでチャンピオン争いを繰り広げた加藤大治郎と原田哲也。大ちゃんは250ccクラス最多の11勝を含む13回の表彰台。哲ちゃんは、3勝13回の表彰台。この二人で16戦中14勝を挙げた。日本人のジャーナリストであることが、これほど誇りに思えた時代はなかったかも知れない
 しばらくたって帰国、その日の新聞を見ることになるのだが、衝撃の写真と記事の横に「タビビト・エストリルで海の幸三昧」というコラムが掲載されていて、この紙面は一生忘れないだろうなあと思った。いま、こうして最終回を迎え、真っ先に思い浮かんだのが、その日の紙面だった。それ以上の事件があっては困るし、2度とあんなことがないことを願うばかりである。

 グランプリを転戦するようになって20年。「GPサーカス」、「GPロード」、「タビビトノキ」とコラムを書き続けてきたタビビトのひそかな自慢は、一度も原稿を落とさなかったということかも知れない。正確に記せば、03年4月、大ちゃんが日本GPで事故に遭い、四日市の病院の集中治療室に入っているときに一度だけ休載した。事故が起きた決勝日の夜から病院に詰めていた。大ちゃんが危篤状態では何も書けないだろうというトーチュウの配慮だった。

 タビビトノキに何度も登場してくれた大ちゃん。2年前に交通事故で亡くなったノリックは、GPサーカスの時代から僕のコラムを支えてくれた。そしてすべての日本人選手たちが、僕にとっての「タビビトノキの人たち」だったなあと思うのだ。

 コラム「タビビトノキ」はこれが最終回となるが、タビビトの09年の旅は、これからが本番となる。だから、気分は「またいつかどこかで」である。

 本当に長い間、ありがとうございました。 (GPライター)

■2009年3月19日掲載
2001年のシーズン開幕前に行われた日本GPの発表会。左から青木治親、加藤大治郎、宇川徹、芳賀紀行、中野真矢、阿部典史という蒼々たる顔ぶれが出席して行われた。日本人がグランプリで大きな注目を集めている時代。取材して写真を撮って・・・というのが最高に楽しく、多忙な時代だった
2001年のシーズン開幕前に行われた日本GPの発表会。左から青木治親、加藤大治郎、宇川徹、芳賀紀行、中野真矢、阿部典史という蒼々たる顔ぶれが出席して行われた。日本人がグランプリで大きな注目を集めている時代。取材して写真を撮って・・・というのが最高に楽しく、多忙な時代だった


 最終回を迎えて・・・復刻タビビトノキは、トーチュウ紙面で2000年4月から09年3月まで連載された「タビビトノキ」を、10年6月から週2回のペースで、当時の原稿に手を入れ、写真を加えて掲載してきた。週2回のペースでも4年半もかかったのだから、あらためて長く続いたコラムだったのだあと、感慨深いものがある。

 日本を長く離れるときは、HD(ハードディスク)から原稿に合った写真を探さなくてはならず、日本を留守にする期間の分だけ、原稿と写真を担当者のKさんに渡さなければならないという苛酷な仕事が待ち受けていた。これが結構大変だったけれど、楽しい作業でもあった。

 「タビビトノキ」を書いている期間には、僕のグランプリ人生に深く関わった大ちゃんとノリックの二人が不慮の事故で亡くなった。日本のレース界に大きな足跡を残した二人の活躍と偉業は、僕のグランプリ生活にとっては大きな思い出であり、誇りである。

 この写真は、大ちゃんが500ccに乗ったシーズンのスペイン・ヘレステストでのV・ロッシとの貴重なツーショットである。もし、大ちゃんが生きていたら、当時ホンダのエースだったロッシはヤマハに移籍したのだろうか・・・。そして、大ちゃんが生きていたら、最高峰クラスでチャンピオンを獲れたんじゃないかと思ったりするのだ。そういう時代に書き続けてきたコラムでもある。

 今回の原稿にも触れているが、1990年から99年までは、「タビビトノキ」の前身となった「GPサーカス」と「GPロード」を10年間に渡って書いている。トーチュウがモータースポーツをスタートさせたときに始まったコラムだが、この時代もまた、日本人選手が大活躍した時代だった。機会があれば、このふたつのシリーズも発掘する作業をしてみたいと思っている。復刻タビビトノキ450回。4年半おつきあいいただき、本当にありがとうございました(遠藤智)。