91年Round 1 アメリカGP
(91年3月13日掲載)
不可解なシャーシの反応に苦しみ、大差の2位に終わったプロスト(C)Chunichi
不可解なシャーシの反応に苦しみ、大差の2位に終わったプロスト(C)Chunichi
◆ Round 1 アメリカGP
◆91年3月8〜10日 フェニックス市街地コース
 ▽PP A・セナ(マクラーレン・ホンダ)
 ▽優勝 A・セナ
【プロストのアメリカGP】
 予選、1秒121差でセナに次ぐ2位のグリッド。決勝、セナに1周目で早くも1・812秒差をつけられ、33周時点で19・973秒差。その後はこの状態をキープ。40周から毎周1秒ずつ追い上げるも、46周目、右リアタイヤにトラブルで、タイヤ交換。作業に手間どり7位後退。50周目、5位浮上。57周目、モデナをかわし4位、70周で、競り合うピケとアレジを横目に2台をごぼう抜き。再び2位に躍り出てフィニッシュ。

「今シーズンを占うのは次のブラジルだ」

 フォーミュラ1で11年、随分長く戦ってきたものだ! そしてフェニックスで、僕にとって12年目のシーズンが始まった。シーズンオフを経て開幕戦を迎え、僕は自分の周りを取り囲む、レースを待ちきれない雰囲気を肌で感じていた。もしこれがなかったら、少なくとも自分に関する限り、シーズンオフなどなかったと書いただろう。冬の間のテストは思い出しても数え切れないくらいだ。エストリル、ポールリカールに加えて、スクーデリア・フェラーリのプライベート・コースであるフィオラノやムジェロ……。僕はエンジニアたちと一緒にニューマシン642の熟成に大きく参加していた。新しいマシンの運命を決める膨大なデータや計算の作業は、読者のみなさんも想像できると思う。

 そしてこれと並行して、僕はフェラーリやフィアット・グループの首脳陣と協議し、自分のこれからのことを決定しなければならなかった。その結果はご存じのことと思う。僕はフェラーリと、1992年末までの契約を交わした。91年に関してはすでに確定していたが、92年の契約を結ぶには長時間の調整が必要だったのだ。

 契約の件が決定した後、僕にはもう、ほんの短いバカンスしか残っていなかった。フェニックスに向かう飛行機に乗る前に、僕はフランスとスイスでこの小さなバカンスを楽しんだ。フェニックスでは、アメリカ的な雰囲気が待っていた。僕はこれが気に入っている。でもサーキットに関しては、僕はほとんど評価することができない。というのは、人工的でコンクリートに挟まれたこのタイプのコースを、僕は好きになれないからだ。それでも、これからのフォーミュラ1を考えると、僕たちはアメリカという土地でもグランプリを戦っていかなければならないだろう。それに、フェニックス・サーキットのプロモーターが状況を改善するため本当に努力したことは強調しておかなければならない。

 パーマネントではないサーキットの典型ともいえる特徴なのだが、僕たちは路面のコンディションが少しずつ良くなってくるのに合わせて、絶えずセッティングを考えなければならなかった。コースのほこりが減ってタイヤがアスファルトにグリップするまで、まる一日かかってしまうのだ。土曜日、僕は予選をうまく走ることができた。スターティング・グリッドで一列目のポジションを手に入れることができたのだ。僕のとなりには、ほとんどポールポジションから不動のセナがいる。マクラーレン・ホンダは、僕が目指しようもないタイムを記録していた。ただし、僕はレースセッティングに時間をかけていたのだ。それは十分効果的で、ドライビングもしやすいものだった。このようにレース時間が長く、疲労の激しいサーキットで行われるグランプリでは欠くことのできない大切な点だ。

 しかし日曜日の朝のウオームアップで、僕はほとんどマシンの性能以下のタイムしか出せなかった。セナから1・6秒、7位のタイムだ。でも僕はどうしても、ウイングの角度やサスペンションに新しいセッティングを試してみたかったのだ。結果は納得のいくものではなかった。僕は急いでマシンをもとのセッティングに戻していた。

 いずれにしろ、僕にはひとつ心配なことがあった。マシンの動きを完ぺきに“つかむ”ことができないでいたのだ。つまり、予選初日から、僕はシーズンオフのあいだには一度も現れなかった問題にぶつかっていた。シャーシのリアクションのすべてを理解することができないのだ。

 レースが始まってから、そのことははっきりした。僕はただ単純に、セナのペースについて行くことができなかった。タイヤ交換をする直前の45周目まで、僕はずっと2位のポジションにいたが、トップとの差は20秒近くあった。

 例外的なことが起こらないかぎり、このグランプリを勝ち取ることはできないと、僕にはわかっていた。マクラーレンはあまりにも強すぎたのだ。そしてレースがいろいろな展開を見せたあと、僕は再び2位のポジションを取り戻してゴールした。ジャン(アレジ)やネルソン(ピケ)との素晴らしいバトルもあった。でもそれですべてが終わったのだ。

 これからのこと? まず、僕はブラジルGP、特にインテルラゴスのコースが待ち遠しくてしかたがない。そこでは、シャーシの動きがもっとはっきりと現れてくる。今シーズンを本当に占うには、インテルラゴスを待たなければならないだろう。エンジンに関しては、僕たちはもっと楽にV12の力を発揮できるだろう。フェニックスでのフェラーリのエンジンの欠点は柔軟性を欠いていることだったからだ。しかしインテルラゴスはまったく無理なわけではない。特に、僕たちがアメリカGPで使ったフェラーリは決定的なバージョンで、競争力においても最高の段階に達していたことを忘れてはならない。

 ブラジルGPからすぐに、フェラーリのマシンには新しいモディファイが加えられ、それは僕たちをもっと高いレベルに導いてくれるだろう。(訳・今宮雅子)

(次回はブラジルGP編を掲載します)