91年Round 2 ブラジルGP
(91年3月27日掲載)
予選を通じてセッティングを悩み抜いたプロストだが・・・・・・(C)Chunichi
予選を通じてセッティングを悩み抜いたプロストだが・・・・・・(C)Chunichi
◆ Round 2 ブラジルGP
◆91年3月22〜24日 インテルラゴス(アウト
ドローモ・ホセ・カルロス・パーチェ)
 ▽PP A・セナ(マクラーレン・ホンダ)
 ▽優勝 A・セナ
【プロストのブラジルGP】
 予選はセナに遅れること1秒347の6番手。スタート時、GOサインと同時にベルガーのマシンから出た白煙を浴びて7位に後退。18周目、上位陣のトップを切ってタイヤ交換。11位までポジションを下げる。ジワジワと追い上げ、一時は再び上位に食い込む5位の位置を奪ったものの、38周目に2度目のタイヤ交換を行い7位に後退。その後、ピケをかわし、マンセルのリタイアで4位に浮上するが、セナに19秒369遅れの屈辱のゴール。セナは母国初優勝。

「シーズンの滑り出しは好調だとは言えない」

 フェニックスではほとんど奇跡的に? 獲得した6ポイントは、数日間のバカンスをとるのに十分値するものだった。僕はカリフォルニアやネバダを訪れ、アリゾナでは素晴らしい景色の中で思う存分ゴルフもした。ブラジル、特にサンパウロでグランプリドライバーを待っていたものに比べると、本当に夢のようなひとときだった。

 しかしながら2日間の予選を終えた時、7回目の成功への希望は僕にはほとんどなかった。多くの要素がフェラーリ、そして僕に対して不利なように集まってしまったと言わなければならないだろう。スクーデリア(フェラーリ)は、アメリカGPのあとでマシンを改良する時間と技術力のあった、非常に少ないチームの1つだ。僕たちには、フロントとリアのサスペンションのプッシュロッドを改良したマシンが用意されていたのだ。だが、それをテストするために、僕はレースカーとTカーの両方を同時に走らせなければならなかった。金曜日の朝のフリー走行を、有効に使わなければならない。

 ところが、その大切な時間は、激しい雨に見舞われてしまった。僕はそこから何も引き出すことができなかったのだ。そして午後の予選は、1周ごとにコースが乾いていくというコンディションの中で行われた。その上、危険な所に何カ所か濡れた路面が大きく残っている。このコンディションの中、マシンの1台はロードホールディングは良いけれど、シャーシのリアクションが奇妙なものだった。5位のタイムは出したものの、この1日は忘れていい1日となってしまった。

 土曜日の朝、状況は変わった。コースはやっと乾き、3台のフェラーリはまったく同じように、リアにだけ改良されたサスペンションを残していた。レースセッティングと2回目の予選を準備するのに僕たちにはほんの少ししか時間がない。ある程度は当て推量でそれを行っていくことが必要だったのだ。

 こうして午後の予選を迎えた僕は、セナを負かすことは不可能ではないと考えていた。2セット目の予選用タイヤでいいタイムが出せることが、僕にはわかっていたのだ。ところが、S字の部分でタイムアタック中のモルビデッリに引っかかってしまい、僕の希望は消えていた。このグランプリは3列目からスタートしなければならない。

 それでもロンジン・オリベッティのコンピューターを分析することによって、もし邪魔されなければ1分16秒7から1分17秒のタイムが出ていたはずだと僕にはわかっていた。これはいいサインだ。翌日、日曜日の朝のウオームアップで僕のこの印象は正しかったことが確認された。

 マンセルの後ろ、パトレーゼの前の2位のタイムを記録したのだ。ウィリアムズ・ルノーがコンペティティブであると同時に、マクラーレン・ホンダが“やられた”と思っているだろうと僕は考えた。ただし、未知数が2つ残っている。タイヤと天気だ。グッドイヤーの技術者たちは、自分たちのゴムのグリップに関して楽観的な予想をしていた。僕の方はそうではない。彼らが1回のタイヤ交換を予測しているのに対し、僕は2回の交換を心配していた。

 でも、不利な位置からスタートしても、タイヤ交換でうまいチーム作戦をすればトップ争いにも加われるはずだ。天気に関しては、予報では太陽が照りつけるということだけれど、インテルラゴスの空にはウオームアップ直後から厚い雲がどんどん層を重ねていた。

 もし雨が降ればトップからスタートするセナはどんどん先行し、つかまえるのは難しくなるだろう。でも逆に、レース中にコースが乾いてくることも考えられる……。結局は降った。でも、僕が思っていたのとは全然違う降り方だった。僕も含めて全員のドライバーがスリックタイヤでスタートしたが、このスタート直後から、僕はこのレースが難しいものになるのを予感していた。朝のウオームアップを満タンで走って最高だったマシンは、数キロ走っただけでどんどん運転しにくくなってきたのだ。

 ガソリンが減って軽くなり始めると同時に、フェラーリはすっかりドライビングし難い車に変わってしまった。エンジンは暑さのために息切れし、そして何より、タイヤが不安な早さで減り始めたのだ。僕は地獄のような渦にのみ込まれていった。高速コーナーではシャーシは神経質なリアクションを見せ、タイヤがぼろぼろにはがれ、低速コーナーではエンジンに力がなく、もっとタイムを失った。そのため、僕は2回の交換を覚悟の上で、できるだけ早くタイヤを交換する決心をした。

 これは朝にも予想していたことだ。しかし、それでも状態は良くならなかった。というのは、マシンが軽くなるとシャシーはまたもう1つ別の欠点をさらけ出したのだ。追い越そうとして他のマシンの後ろにつくと、前のマシンの生み出す気流の乱れの中に入ったフェラーリは完全にバランスを失ってしまう。悔しいけれど、僕は我慢しなければならなかった。これが、2回目のタイヤ交換までの僕の状態だ。

 トップをいくセナと、パトレーゼ、ベルガーが2回目のタイヤ交換をすれば、僕はいくつかポジションを上げることができたはずだった。でもこの作戦は、すっかりだめになってしまった。というより、ゴール前15周くらいから降り出した雨に溶けてしまったといっていいだろう。僕にできるのはスピードを落とし、タイヤを節約することだけだった。僕は4位のポジションを余儀なくされていた。フェニックスでの思いがけない6ポイント、インテルラゴスでのほとんど破局的な3ポイント。シーズンの滑り出しが好調だとはいえない。

 フェラーリはマクラーレン・ホンダ、ウィリアムズ・ルノーのレベルに達していないのだ。次のグランプリまでにリアクションを起こすのに、僕たちには1カ月の時間がある。そしてスクーデリア・フェラーリにはその力がある。これからは適切で効果的なやりかたで、もっと仕事をしなければならないだろう。(訳・今宮雅子)

(次回はサンマリノGP編を掲載します)