91年Round 3 サンマリノGP
(91年5月1日掲載)
激しい雷雨に翻ろうされる結果となったアレジ(右)とプロスト(C)Chunichi
激しい雷雨に翻ろうされる結果となったアレジ(右)とプロスト(C)Chunichi
◆ Round 3 サンマリノGP
◆91年4月26〜28日 イモラ・サーキット(アウトドローモ・エンツォ・エ・ディノ・フェラーリ)
 ▽PP A・セナ(マクラーレン・ホンダ)
 ▽優勝 A・セナ
【プロストのサンマリノGP】
 予選初日、セナ、パトレーゼに続いて1分22秒195で3番手に入ったプロスト。2日目は雨で走行できず、そのまま2列目からスタート。決勝…。レースの30分前から降り出した雨のためセナがハイペースで飛び出したフォーメーション・ラップ中にリバッツァ・コーナーでなんとスピン。そのままリタイアに追いこまれてしまった。

「激しい雨、スタートさせた主催者に問題」

 このGPでは、僕はマクラーレン・ホンダとウィリアムズ・ルノーの後ろ、3位のグリッドを獲得することができた。驚くべきことだっただろうか? 本当のところはそうでもない。というのは、僕は常にスクーデリアの非常にすぐれた能力を信じてきたし、惨めな結果に終わったサンパウロの後も、技術者たちが柱を建て直すことができるとわかっていたからだ。

 そうは言っても、すべてが簡単だったように思われたくない。エンジニアもメカニックも、実際にマシンを製作する人たちも、すべての人間が素晴らしい仕事をしたのだ。やらなければならないことは山ほどあった。それに、エンジンは素晴らしいものではなかったし、サスペンションも同じようなものだ。それがたった3週間の間に、しかも何度もプライベート・テストで仕事を中断されながらも、フェラーリはその力強さの大部分を取り戻したのだ。マシンの動きは安定し、エアロダイナミクスもバランスが取れ、新しいフロント・サスペンションも効果を発揮し、エンジンもより完ぺきに近いものになった。

 フォーミュラ1において最高の能力を保持することも大切だけれど、もっと大切なのは、それを適切に管理していく術を知っていることだ。つまり、真剣に、強情なほどに、平穏に、それを行っていくことなのだ。見直さなければならないことがたくさんあるのは、この部分なのだ。

 僕が聞いたように、平穏さを欠いているのは、ティフォシによるプレッシャーが強すぎるせいだろうか? 僕はそうは思わない。ティフォシというのはありがたいものだし、イタリアにおけるスクーデリア・フェラーリのように、ナショナルカラーの強いチームには、それが必要なのだ。

 それよりむしろ、(たいていの場合はイタリアの)いくつかのプレス、何人かのジャーナリストの不吉な影響が原因だと僕は思う。彼らは、火のないところに煙をたてることだってできるのだから。スクーデリアを指揮していく方法に関して、僕とチェザーレ・フィオリオの間に意見の違いがあるのは確かだ。

 そのために、僕たちのチームは昨シーズンの成功の上に安住してしまったのだ。そしてフォーミュラ1では、前のシーズンの最後のグランプリで素晴らしかったマシンも次のシーズンの最初のグランプリではもう勢いを失ってしまうほど、すべてがどんどん変わっていってしまう。

 このため、僕たちは方針を立て、知り得る範囲の最高の例にしたがってそれを守っていくことが必要だ。これに関しては、僕はマクラーレン・ホンダを率いるロン・デニスの名前を挙げることができる。だから、論争は葬り去り、再び僕たちの平穏を取り戻そう。

 たとえ意見の相違はあったとしても、緊張は和らいだということを見せるために、土曜日の午後、僕たちはフィオリオと一緒に記者会見を開いた。僕たちはみんなの前で、マシンのことについて話した。ご存じのように、土曜日は1日中しつこく雨が降り続いた。

 前日のタイムを縮める可能性は全くなく、僕たちにできたたったひとつのことは雨の中でレースのセッティングで走ってみることだけだった。翌日の天気予報も全く不安定だったことを考えると、雨を想定するのも大切なことだった。幸運にも、日曜日の朝のウオームアップでは青空が広がった。30分の間に乾いた路面の上での満タンのセッティングを決めなければならないから、仕事は山ほどある。僕は10分ほどTカーで走った後、レースカーに集中した。すぐにギアボックスの小さな問題が感じられたが、レースまでにはすべてが解決されるはずだ。

 僕はセナから0・3秒、ベルガーからは1・6秒の3位のタイムを出した。でも僕は、ゲルハルトがガソリンを半分しか積んでいないことは知っていた。マシンの動きは良くタイヤに関してもどういう選択をすればよいのか、僕にははっきり分かっていた。

 タイヤは柔らかい方のレースタイヤ、Dタイヤをはき、1回のタイヤ交換をすることが必要になるだろう。でもみんなも知っているとおり、僕にはこのタイヤ交換をする機会もなかった。コースインしてスターティング・グリッドについた時に、激しい雷雨がイモラのコースを襲ったのだ。僕たちは全員がレーンタイヤにはき替えることになった。そして、スターターはフォーメーション・ラップをスタートさせた。僕がリタイアしなければならなかったのは、このフォーメーション・ラップ中のことだった。

 ギアを3速にチェンジした時に、マシンは僕のコントロールを離れてしまったのだ。僕は完全に水浸しになったグリーンの上にいた。アスファルトの上に戻ることは不可能だった……。すべては終わってしまった。スタートを切ることすらできなかったのだ。何が起こったのだろう? ギアがロックしてしまったのだと僕は考えた。あの時、僕がどんな気持ちだったかは、簡単に想像してもらえると思う。僕はすぐにサーキットを後にした。3周を走ることもできなかったジャンと一緒に……。

 後で、僕はフェラーリのピエロ・フサロ社長がレース後、ジャーナリストの前で自らの意見を述べたことを知った。彼によると、原因はギアボックスのロックではない。しかしドライバーのミスでもないということだ。僕がコースアウトしたところでは、ベルガーもまたコースアウトしていた。大量の水が流れていたからだ。アレジもコースアウトをした。それよりもむしろ非難すべきは、あの状況と、そしておそらくオーガナイザーにある。たとえ規則がそれを要求していなかったとしても、土曜日1日よりもはるかに激しい雨が降った後、オーガナイザーはドライバーがコースの状況を把握できるよう、数周走らせるべきだったのだ。

 フサロ社長のこれからの意見は、いずれにしてもフェラーリがイモラで経験した不幸を埋め合わせるものではないけれど、僕は100%これに賛成しようと思う。(訳・今宮雅子)

(次回はモナコGP編を掲載します)