91年Round 5 カナダGP
(91年6月5日掲載)
苦しいレースが続くプロスト(C)Chunichi
苦しいレースが続くプロスト(C)Chunichi
◆ Round 5 カナダGP
◆91年5月31〜6月2日 ジル・ビルヌーブ・サーキット
 ▽PP R・パトレーゼ(ウィリアムズ・ルノー)
 ▽優勝 N・ピケ(ベネトン・フォード)
【プロストのカナダGP】
 雨の第1セッションで5位。2日目、パトレーゼら上位3台がレコードを更新する中で、プロストは4位。決勝はマンセルが逃げ、追うセナの背後でピタリとつけまわす。が、11周目に突然ペースが落ち、6番手まで落ちる。セナがリタイアした26周目、アレジをも抜き4位へ。直後にスローダウンが始まり、そのままリタイア。ギアボックスの故障だった。サンマリノに次ぎ、今季2度目のリタイア。

「素晴らしいチャンスを逃がしてしまった」

 モントリオールには週の初めにやって来た。ここでのグランプリは今まで僕にほほえんでくれたことはないけれど、僕はカナダが大好きだ。そして10年以上も前から毎年僕たちを迎えている、モントリオールの街のとても特別な雰囲気も僕は気に入っている。ここではゴルフ場も素晴らしいし、ゆっくりとくつろぐには本当に最高だ。くつろぐ……、サンマリノとモナコのグランプリ、またスクーデリア・フェラーリを揺るがし、社長のピエロ・フサロによって根本的なチームの首脳陣の異動が行われるに至ったさまざまな動揺の後、僕は本当にくつろぐということを必要としていた。

 ただ、僕にはひとつだけ忘れていたことがあった。大西洋を越えてカナダに向かう飛行機の中で、僕たちは完全にエアコンの空気に浸ってしまうのだ。僕はひどくノドを痛めてしまい、最後には完全に声が出なくなってしまっていた。この症状は時間がたつにつれてだんだん悪化したが、特に土曜日の予選の後にはひどくなった。レースカーとTカーでさまざまなセッティングを試みた僕は、そのためにエンジニアのルイジ・マッツォーラと多くのやり取りをしなければならなかったからだ。

 土曜日の夕方には、僕は一言もしゃべれなくなってしまった。それで、ラジオやテレビにはずいぶん迷惑をかけてしまった。また、声帯を痛めた原因はもうひとつある。金曜日の夜、静けさを取り戻したイタリアのプレスと和解の夕食を共にしたのだ。みんなが静かになったことによって、僕たちは落ち着いて仕事に取りかかることができる。

 マシンに関する話に入ろう。僕たちが予選用とレース用にふたつのタイプのセッティングを採用しなければならないことは明らかだった。予選用のエンジンにパンチを加えるためには、バタフライ式の排気バルブが用意されていた。結局僕たちはそれを使わなかったが、それでも、完全にウエットな路面で行われた金曜日の午後の予選を除いては、僕はセナを負かすことができたはずだと思う。

 土曜日の予選で、僕は2セット目のタイヤでアタック中にグージェルミンにひっかかってしまった。彼を避けるためには、縁石を横切ってコースサイドに出なければならなかった。僕は、彼がピットに入るのだと思っていたのだ。しかしながら今回は、セナを負かすということはポールポジションを取るという意味にはならなかった。セナも僕もいずれにしろポールポジションには届かなかったのだ。僕たちの前には、2台のウィリアムズ・ルノーが立ちはだかっていた。

 しかし、実際には、グリッドの2列目のアウト側からスタートするというのは、そんなに重大なことではない。僕に必要なのは、レース用のセッティングを仕上げることだった。ウオームアップの間、僕はそれに専念した。ガソリンを半分だけ積んで、ウイングを最大限に効かせたレースカーと、ガソリンを満タンに積んで比較的ウイングを寝かせたTカーを試してみたのだ。

 エンジンのレスポンスがあまりよくないことはわかっていた(実際それが、少々僕たちのアキレスけんであることはわかっているのだ)。しかし、ほかにも大切なことはたくさんある。モントリオールはイモラに似て加速とブレーキングを繰り返すコースであるため、ブレーキには特に厳しいレースになる。主だった要素をいいかげんにはできないように、その他の要素も決して、どんな場合にもいい加減にほうってはならない。ウオームアップを走った結果、僕はブレーキのキャリパーを替える決心をしていた。僕はHITCOよりもSEPを選んだのだ。セナは逆の選択をしていたと思う。

 ペンスキーの新しいショックアブソーバーを備えたマシンの全体的な動きは、悪くないことがわかった。ただひとつ、ジャン・アレジも僕も、ピットロードの入り口の手前では、ラインをはずれて特にバンピーな部分を避けることが条件とされた。したがって、僕は自信を持っていた。そしてスタートに成功した後、難なくセナについて行けることが確認できた。それ以上に、実際、彼を攻め立てることもできたのだ。僕は2回、彼に攻撃をしかけていた。突然、長い間経験していなかった大きな警報が鳴ったのは、その最中の11周目のことだった。シフトダウンができない……。

 何とかマシンをコース上にとどめながら、僕はコーナーを大きく回った。しかし、アレジとピケは稲妻のように走り去り、僕のポジションは6位まで落ちていた。僕は最悪の事態を予想した。しかし、レースが進んでいくうちに、すべてが正常に戻ったように思われたのだ。僕たちの前でセナがリタイアした時には、僕はアレジを抜き、ピケにアタックしようとしていた。

 でも僕には運がなかった。ギアは再び抜け、その次の周回ではロックしてしまったのだ。今度は完全に! 素晴らしいチャンスを逃してしまった。カナダGPがどういう終わり方をしたのか知った時には、その気持ちはいっそう強くなった。(訳・今宮雅子)

(次回はメキシコGP編を掲載します)