91年Round 7 フランスGP
(91年7月10日掲載)
ニュー・ウエポン「643」を手にし、反撃の態勢が整ったプロスト(C)Chunichi
ニュー・ウエポン「643」を手にし、反撃の態勢が整ったプロスト(C)Chunichi
◆ Round 7 フランスGP
◆91年7月5〜7日 マニクール・サーキット
 ▽PP R・パトレーゼ(ウィリアムズ・ルノー) 
 ▽優勝 N・マンセル(ウィリアムズ・ルノー)
【プロストのフランスGP】
 ニューマシン643は金曜日から好調。予選1回目を終え、アレジが3位、プロストは4位につけた。2日目、プロストはさらに順位を上げ2位。開幕戦以来のフロントローを確保した。決勝日朝のウオームアップ走行ではついにトップタイムをマークし、決勝へ。スタート、PPのパトレーゼが出遅れ、プロストが第1コーナーへトップで飛び込む。22周目にマンセルに抜かれるが、タイヤ交換のタイム差で、プロストが再びトップへ。55周目にマンセルに抜かれ2位でフィニッシュ。

「あとはアンダー、シルバーストンへすぐ改良を」

 正直に告白すると、フランスGPが始まったとき、僕はありとあらゆる不安を感じていた。それには多くの理由があり、そのひとつひとつがどれも見過ごすことのできないものだった。

 まず、新しいフェラーリの643は、マニクールの数日前のシルバーストーンテストでも完全に準備できていなかった。その上、僕はスクーデリアの首脳陣に、643のシェイクダウンをイギリスでは行わないように要求していた。僕たちのベースからは遠いイギリスよりも、フィオラノかイモラを僕は望んでいたのだ。そうすれば、もし不幸にしてパーツが壊れるようなことがあっても、何とか交換のパーツを見つけることができるからだ。しかし、このためにシェイクダウンテストの日程はますます遅れることになってしまった。

 正確には、この643の最初のテストは7月の最初の数日間に行わざるを得なかった。そしてイモラのコースを休みなしに走った結果、僕は肉体的に疲れ果ててマニクールに到着したけれども、フランスGPの非常にテクニカルで難しいコースに関しては、何も楽観的な予測を下すことはできなかった。

 それに加え、もっと事を複雑にしたのは、ジャン・アレジも僕も643でこのマニクールのコースを走ったことがなく、また、Tカーとしては古い642しか持っていなかったことだ。仕事は難しくなりそうだった。僕たちを混乱の渦に巻き込んでしまうのに十分なだけの要素がそろっていたのだ。

 しかし幸い、これとは反対に、僕には満足感をもたらすだけの理由もそろっていた。イモラでのテストはシャシーに関する部分に限らず、実のあるものだったのだ。エンジンに関しても、いくつかの新しい方法がテストされたが、それは性能が上がったばかりでなく、信頼性もあることを証明してみせたのだ。

 最終的に金曜日の朝には、予選の第1日目を走る用意が整っていた。僕の計画は単純なものだった。このサーキットでは追い越しが難しいことがわかっているから、ポールポジションを獲得するという、たったひとつの方向に向かって仕事をすることだ。

 この予選第1日目を、僕は心の中で深く満足しながら終えていた。たしかに、その時点でセナ、マンセル、アレジのうしろの4位のポジションしか獲得してはいなかったけれど、明るい見通しを立てることができたのだ。643は非常にセッティングがしやすく、より有効な前後の車高を決めるだけでよかった。2セット目の予選タイヤで遅いマシンにひっかかったことを考えると、この結果は素晴らしいものだったといえるだろう。

 土曜日の1日についても、僕の目標はまったく同じ、スターティンググリッドの最高のポジションを確保するというものだった。気温は下がり、マシンはより速くなって、僕はパトレーゼの後ろの2位のポジションを獲得できた。一列目からスタートできるのだ。僕は大きな一歩を踏み出していた。ただ、たったひとつだけ“心配”があった。そしてこれは、あとで重要な問題になってくる。

 僕は2セット目のタイヤが1セット目ほどよくはなかったのだと考えていたが、それは同時に何かほかに理由があるように思われた。1分14秒7というのは、軟らかい予選タイヤで記録したタイムだ。しかし朝のフリー走行のとき、硬いレースタイヤをはいてさえ、僕は1分15秒3というタイムを出していた。予選タイヤをはいたときのタイムの上がり幅はもっと大きくなってもいいはずだった。

 でもとりあえず、僕はグリッドのいい位置を確保したことを喜んでいた。それで十分だったのだ。僕はとても自信を持っていた。たとえ満タンでは一度も走っていなくても、日曜日の朝のウオームアップは何の問題もなく走れると確信していたほどだ。そして実際、そうなった。僕は以前の習慣を取り戻していた。マンセルの前、10分の3秒以上速い、1位のタイムを記録したのだ。あとひとつ、もっとも難しい課題が残っていた。いいスタートを切ることだ……。そして、レースに勝つことだ。最初の難関をクリアし、パトレーゼを大きくリードすることに僕はすべてをかけた。そしてスタート直後の数メートルで、それは成功したのだ。

 最初の10周ほどの間、フェラーリはまったく完ぺきな状態だった。シャシーは素晴らしく、エンジンもそのパワーのすべてを発揮していた。ところがすぐに、すべてのバランスが崩れ始めた。アンダーステアが強くなることから始まり、状況は悪化していった。次に、エンジンの回転数が落ち始めた。そして、ギアがひっかかり始めた。エンジンとトランスミッションに関しては、レースを完走できたことを考えればそれほど大きな問題ではなかった。しかしマシンの動きに関しては、マンセルの攻撃に耐えることはできないのがわかっていた。たとえタイヤ交換の作戦で成功してもだ。

 それでも、表彰台の2番目のポジションを用意された僕は幸せだった。僕は自分の観客の前で喜びを表すことができた。それに、フェラーリ643はスクーデリアの復活を表すものだ。残るは、僕の力を弱め、マンセルに先行を許す原因となった、アンダーステアの問題だけだった。僕はまだ、643のセッティングのすべてを理解したわけではない。シルバーストーンまでに改良すべきことがある。そのために、4日間の時間があるのだ。(訳・今宮雅子)

(次回はイギリスGP編を掲載します)