91年Round 8 イギリスGP
(91年7月17日掲載)
新車を手に入れたものの反撃への道はまだまだ険しいプロスト(C)Chunichi
新車を手に入れたものの反撃への道はまだまだ険しいプロスト(C)Chunichi
◆ Round 8 イギリスGP
◆91年7月12〜14日 シルバーストーン・サーキット
 ▽PP N・マンセル(ウィリアムズ・ルノー) 
 ▽優勝 N・マンセル
【プロストのイギリスGP】
 予選初日は7位とやや振るわなかったが、3台目の643が到着した2日目にはタイムも上がり、ウィリアムズ、マクラーレンに次ぐ5番手を確保した。決勝では6周目に4位へ浮上するが、14周目にアレジと入れ替わって5位へ後退。23周目にアレジとともにベルガーをパスし再び4位へアップ。31周目、アレジが鈴木亜久里と接触リタイアし3位に上がるが、44周目のタイヤ交換でベルガーに抜かれ、またも4位へ。最終ラップで2位のセナがストップし、3位に入った。

「643はまだ手探り調整」

 何の目安もないままにフォーミュラ1をセッティングする。これ以上難しいことがあるだろうか?シルバーストーンの新しいサーキット。そう、もちろん、グランプリの前にここでテストを行ったぼくは、このコースを知っていた。でもその大半は、雨の中で行われたものだった。

 フェラーリ643。僕はマニクールからそのステアリングを握っている。それでも、これだけのデータでは、全部合わせても十分ではないのだ。したがって、何としても間違った解釈だけはしないように、警戒することが必要だった。さもないと、とんでもない誤った方向でセッティングをすすめてしまうことがあり得るからだ。実際、手探りするような状態で金曜の1日を過ごした僕は、マシンのフロント部分の動きをよく理解できないでいた。どんなセッティングをしても良くならないのだ。タイヤの空気圧を変えても、ウイング角や車体の高さを変えても、ジャン・アレジのマシンとはフロントタイヤに15度の開きがあるのだ。

 このために、僕は金曜日の予選で7位のタイムしか記録することができなかった。僕のマシンの開発エンジニアであるルイジ・マッツォーラは、この問題に真剣に取り組み、そしてついに僕が朝から持っていたすべての疑問の原因をつきとめた。フラットボトムの延長部分、つまり、ノーズの下の、一種の追加部分のようなところが不規則に振動していたのだ。取りつけが悪いのか、製造が悪いのかは大きな問題ではなかった。答えが見つかったのだから。

 実際に土曜日の朝、すべては正常に戻っていた。2回目の予選で成功するためにはどういう方向で仕事をしなければならないのか、わかっていた。そして、状況を立て直したのだ。おそらくマシンの力はウィリアムズやマクラーレンより劣るものだけれど、それほど大きな問題ではない。エンジンのレスポンスも悪く、スペシャル・ガソリンも用意されていないにもかかわらず、僕はグリッドの3列目を手に入れていた。

 そして満タン状態ではそれほどテストを重ねてはいなかったものの、僕はこの状態でのマシンのロードホールディングに自信を持っていた。また、マンセルとパトレーゼ、そして、セナとベルガーも、レースセッティングで走った時のタイヤに不安を持っているのを、僕は知っていた。しかしながらウオームアップとは反対に、レースで完全に満タンにした時のマシンの動きは大きく変わってしまった。642と同じ欠点が、643でも出てしまったのだ。とはいうものの、またレースの序盤ではマシンをいたわって走ろうと決めていたにもかかわらず、僕はいいペースを持続することができた。そしてガソリンの量が減り始めると、フェラーリはものすごく速くなってきたのだ。そう、ベルガーに追いつくことができたほどにだ。

 しかし、彼を抜くことは僕には不可能だった。ひとつはマクラーレンが生み出す乱気流の中でマシンのバランスが崩れてしまうこと、そしてもうひとつは、マニクールと同じ問題が原因だったのだ。マシンがスピードを取り戻すための力、つまりエンジンのピックアップが本当に力強さを欠いていたのだ。逆に、すべてが完ぺきにうまくいってる部分もあった。タイヤだ。ジャン・アレジはほとんどぎりぎりで僕を抜いていったけれど、それも大して役には立たなかった。彼もまた、ベルガーを抜くことができずにいたのだ。

 そしてもっと悪いことに、僕は彼のエンジンが噴出するオイルをひどくかぶってしまった。ブレーキングで前輪をコースサイドに落としたのはバイザーをふいている瞬間のことだった。僕はあっという間にスピンしてしまった。でも、タイヤが素晴らしかった証拠に、僕は何の問題もなく同じタイヤのままレースを続けることができた。そのタイヤを交換しなければならなくなったのは、チェザリスのジョーダンのかけらを踏んだためだ。そしてこの瞬間から、マシンの動きは悪くなり始め終盤は本当に苦しいレースになってしまった。

 表彰台に3番目に上がるチャンスを手に入れるのに、僕は最後の瞬間にセナがリタイアするのを待つ以外に術がなかった。(訳・今宮雅子)


(次回はドイツGP編を掲載します)