91年Round 14 スペインGP
(91年10月2日掲載)
アタックへ向かうプロスト(C)Chunichi
アタックへ向かうプロスト(C)Chunichi
◆ Round 14 スペインGP
◆91年9月27〜29日 サーキット・デ・カタロニア
 ▽PP G・ベルガー(マクラーレン・ホンダ) 
 ▽優勝 N・マンセル(ウィリアムズ・ルノー)
【プロストのスペインGP】
 予選1回目7番手=1分20秒246,予選2回目6番手=1分19秒936、決勝2位。スタートで大きく出遅れ1周目12位まで順位を落とす。4周目には19位。が5周目から盛り返し8周目8位、11周目4位。21周目シューマッハーをかわし3位。34周目から2位へ、そのままゴール。

「何日かかけて僕の将来を分析する」

 ポルトガルGPは僕のキャリアの中でもほとんど輝きのないグランプリだったが、続けて行われたスペインGPはまったく違うものになった。ポルトガルが終わった夜、僕はすぐにマルベラに避難した。そこではとてもすばらしいゴルフ場が待っていた。僕のバッテリーを充電してくれるものだ。

 おかげで少し元気になった僕は、バルセロナに飛んだ。木曜日に1時間、2回のフリー走行が行われ、このすばらしいコースを体験できた。このコースは面白いだけでなく、最大限の安全性を考えた追い越しの可能性を確保していた。同じように強調しなければならないのは、僕たちフェラーリが、このコースではいまひとつ動きがよくなかったということだ。フィオラノから数多くの改良をしてきた技術陣の努力にもかかわらずだ。

 ジャン・アレジと僕は、新たに改良されたエンジンを用意されていた。ジャンがポルトガルで使用したのと同じ仕上げのものだ。そして、シャーシに関しても、ふたつの新しいタイプが用意されていた。ジャンのレースカーとスペアカーには、リアに新しいエアロダイナミクス・システムが備えられていた。フラットボトムの上に排気管の出口を備えたものだ。

 モンツァのテストの時に僕たちが6−1の排気管(6つの排気管を1本にまとめたタイプ)と一緒に試していた6−2の排気管(6つの排気管を3本ずつ1本、計2本にまとめたタイプ)だ。僕の方は、リアのディフューザーは従来のものだったが、フロントに新しいサスペンションが使用されていた。

 しかし、木曜日のこのフリー走行は、収穫の少ないものだった。バルセロナのサーキットのアスファルトは完ぺきにグリップを欠いていた。その上に、僕自身の体調も芳しくなかった。エストリルで日曜の朝にマシンが火に包まれた時、ガソリンの蒸気と煙を吸ったためだ。

 金曜日、公式予選の1日目も、僕はまごついていた。グリッドのポジションは、7番目しか得られなかった。そして土曜日の朝も、ふだんの習慣とは逆に、僕はガソリンタンクをほとんど空にして走った。すべてのセッティングをゼロからやり直したのだ。無色のシャーシに、僕はダウンフォースをつけ、細かく手を加えていった。こうして、フェラーリは非常にゆっくりと、ある程度の力をつけていったのだ。それは土曜日の午後、予選で6位のグリッドを得たことで確認された。

 しかし、いちばん難しいことはその後に待っていた。日曜日の朝のウオームアップの時に雨が降っていたのだ。満タンで走るために、僕はしっかりとこの30分を使いたいと考えていた。まったく不安定なグリップのコース状態の中で、僕はこのテストに集中した。そして、たとえタイムには全然表れていなくても、明るい見通しをつけることができたのだ。そして、レースで、それは証明されることになった。

 スタートの時、コースはとてもぬれていた。それでも、僕はドライセッティングで通していた。ここではっきりと書いておこう。コースが乾いていくことを期待していた僕は、スリックタイヤでスタートすることを望んでいた。ところが残念なことに、これはスクーデリア・フェラーリのようなチームが、成績の悪さによってプレッシャーが高まっている今の時期に、冒すことのできるリスクではなかったのだ。レーンタイヤでスタートするようにと、僕は長い時間をかけて説得された。

 スタートでは僕はぎりぎりのところでアレジを避けていた。そしてそのすぐ後、真っ先にタイヤを交換したドライバーのひとりが僕だったのだ。つまり、溝の入ったレーンタイヤからスリックタイヤに交換するためにだ。途中、また少し雨が戻ってきたものの、タイヤ交換をした瞬間からマシンの動きはとても良くなった。ここで、もうひとつ書いておこう。もしスタートからスリックタイヤをはいていたら、僕はたぶんこのグランプリに勝つことができただろう。

 もっといいことがある。ジャン・アレジが初めてトライしたエアロダイナミクス・システムは、彼のすばらしい追い上げによって、スクーデリア・フェラーリが立ち直りの道を見つけたことを証明したのだ。この週末にはもちろん、みんなが僕の将来について考えていた。そしてレース後、フランスのラジオのジャーナリストたちが僕に質問した。フェラーリのマシンがよみがえる兆しを見せたことが、来年に関する僕の決心に影響を与えるかどうかという質問だ。

 「ノー」

 僕は彼らに一言で答えていた。レースで良い結果を残すことよりも、今のところ、すべてはもっともっと複雑なのだ。僕はこれから、何日かかけて、すべてを分析するだろう。そしておそらく、近いうちには、1992年がどうなるのかということを自分でも知ることができると思う。(訳・今宮雅子)


(次回は日本GP編を掲載します)