91年Round 15 日本GP=パート2(金曜日)
(91年10月19日掲載)
加藤東京中日スポーツ総局長から弓矢と刀をプレゼントされるプロスト(C)Chunichi
加藤東京中日スポーツ総局長から弓矢と刀をプレゼントされるプロスト(C)Chunichi
◆ Round 15 日本GP
◆91年10月18〜20日 鈴鹿サーキット
 ▽PP G・ベルガー(マクラーレン・ホンダ) 
 ▽優勝 G・ベルガー
【プロストの日本GP】
 ▽予選 1分36秒670 4番手
 ▽決勝 1時間33分31秒456 4位

「チャンピオンを前にセナには重圧が…」

昨日のコラムでも書いたように、僕には2タイプのマシンを用意されていた。スペアカーはディフューザーの上に排気管を出したもの。ジャン・アレジがスペインGPで使ったのと同じタイプだ。そしてレースカーは排気管の出口が低いものだ。

 僕はレースカーでコースインした。大方のセッティングを決めるためだ。そして赤旗による20分ほどの中断の後、僕は比較的効果的なセッティングに達した。自分がどこまでやれるか(僕はマンセルとセナに次ぐ3位のタイムを記録していた)、僕には分かっていたのだ。

 それで僕は、エンジニアのルイジ・アッツォーラと話し合うため、マシンから降りた。僕たちの選んだ方向は正しいものだった。それで、スペアカーを試してみることになったのだ。スペアカーでは、ほとんど納得できないまま、数周しか走らなかったことを言っておかなければならない。実際、僕はスペアカーの動きが好きになれなかったのだ。その結果、僕はすぐにレースカーに戻り、念入りにセッティングを仕上げていった。それで1分42秒717だったタイムを1分41秒615までアップしたのだ。

 予選の準備をするためには、もう10分くらいしか残っていなかった。予選用の柔らかいタイヤをはいた僕は、あと1、2秒タイムを縮めていた。これが当然のタイムアップだったことは、午後の予選でも確認された。1セット目のタイヤで、僕は1分38秒708を出したけれど、それは遅い車にひっかかってのタイムだ。2セット目では、僕は1分37秒565のタイムを記録し、ベルガー、セナ、マンセルの後ろ、4番手のポジションを得た。

 「マシンには満足しているよ」予選後の後、インタビューに来たジャーナリストたちに僕はこう答えた。でも、明らかに、彼らが興味を持っているのはフェラーリではないようだった。彼らが特に気にしていたのは、大きくなったうわさ、つまり、僕が92年にリジェに行くという話だ。この間違った情報にはっきりとけりをつけるため、僕は彼らに本当のことを告げた。「1992年に僕がリジェを運転することは絶対にない。僕は100%確信している」

 こうして、まず最初のポイントがはっきりした後、彼らはマンセルとセナのシーズン終盤に関する、僕の予想をたずねた。僕の考えは、レースセッティングで鈴鹿サーキットを走った場合、ウィリアムズ・ルノーの方がマクラーレン・ホンダよりいいように思う。ホンダがV12エンジンに、マクラーレンがシャーシに対して行った努力にもかかわらずウィリアムズ・ルノーの方が安定しているように思われるのだ。

 バルセロナですぐにでもチャンピオンを決めたいと思っていたアイルトンの肩には、プレッシャーがかかっているのだ。ナイジェルの方は、何も失うものがない。彼は勝たなくてはならないのだ。そしてアタックすることだけを考えるだろう。その方が簡単なことだ。(訳・今宮雅子)

(次回は日本GP編パート3を掲載します)