91年Round 15 日本GP=パート3(土曜日)
(91年10月20日掲載)
マシンをのぞきこむプロスト(C)Chunichi
マシンをのぞきこむプロスト(C)Chunichi
◆ Round 15 日本GP
◆91年10月18〜20日 鈴鹿サーキット
 ▽PP G・ベルガー(マクラーレン・ホンダ) 
 ▽優勝 G・ベルガー
【プロストの日本GP】
 ▽予選 1分36秒670 4番手
 ▽決勝 1時間33分31秒456 4位

「赤旗の間の20分にセッティングできた」

 正直に言って、今朝は本当に不満だった。フリー走行の間中、何もうまくいかなかったのだ。僕はレースカーだけに集中した。そしてすぐに、満タンのセッティングにとりかかった。ところが重い時にはいつも素直な動きを見せるフェラーリが、すっかり変わってしまっていたのだ。僕はすべての方向を試してみたけれど、うまいセッティングを見つけることは不可能だった。ダウンフォースをつけてもつけなくても、フェラーリはとても気ままな動きで、ほとんど運転できるような状態にはならないのだ。

 もっと悪いことに、ベルギーGPで発生した、そしてもうほとんど忘れていたような問題が再発した。ステアリングを切っても思うようにマシンの姿勢が変わらないのだ。原因は、アンチ・ロールバーのポジショニングの悪さだった。その上、ギアシャフトにも問題が発生した。

 でも、みなさんも知っているとおり、レーシングカーというのはすべての要素が集まった上でのバランスが大切なのだ。ダイレクションの問題が解決するとすぐ、僕はセッティングをゼロからやり直した。これは時間のかかることだった。満タン状態のマシン全体の動きをもう一度確かめるのにも、2回目の予選の準備をするのにも、時間がなくなってしまったのだ。僕は9位のタイムしか出せなかった。1分39秒664。ベルガーより4秒以上遅いタイムだ。

 午後の予選、1セット目の予選タイヤをはいてコースに出た僕の走りは、ほとんど納得のできるものではなかった。みんながタイムを縮めている時に、昨日より遅いタイムしか出せなかったのだ。僕はもう破局的と言っていい状態にいた。でも幸いなことに、シューマッハーのクラッシュが僕を救ってくれた。予選が20分近く中断された間に、僕はセッティングの足りなかった部分を即興的に仕上げることができたのだ。

 予選が再開されるとすぐ、僕は古いタイヤをはいてコースに出た。そして、フェラーリがすっかり元気になっていることを確認した。確かに、マクラーレン・ホンダやウィリアムズ・ルノーを負かすことは不可能だったが、タイムを上げることはできる。僕は2セット目の予選タイヤをはき、4位のタイムを記録していた。遅い車が何台かいたものの、すばらしいラップだった。

 でも、明日のスタートの時には、僕はセナとマンセルの戦いを観察していくつもりだ。僕が彼らにかかわりあうことはない、と確信してもらってもいい。僕はみんなの前でそれを約束した。彼らの戦いからは遠ざかっているつもりだ。重要なのは、アイルトンとナイジェルの間で、だれにも邪魔されずに素晴らしい戦いが展開されることだからだ。(訳・今宮雅子)

(次回は日本GP編パート4を掲載します)