91年Round 11 ベルギーGP
(91年8月28日掲載)
リジェ移籍へカウントダウン? 胸中は複雑なはずのプロスト(C)Chunichi
リジェ移籍へカウントダウン? 胸中は複雑なはずのプロスト(C)Chunichi
◆ Round 11 ベルギーGP
◆91年8月23〜25日 サーキット・デ・スパ・フランコルシャン
 ▽PP A・セナ(マクラーレン・ホンダ) 
 ▽優勝 A・セナ
【プロストのベルギーGP】
 予選ではセナをピタリとマークするフロントローにつけたプロストだったが、幕切れはあっけなかった。スタートは上々。3番手のマンセルを抑え、そのまま2番手で第1コーナーを抜ける。しかし、2ラップではそのマンセルにあっさりパスを許してしまう。そして、3周目。1回目の予選ではあれほど好調だったマシンが悲鳴を上げる。後部から火を噴き、さらに、白煙につつまれたフェラーリは、コースアウト。わずか3周目でリタイアしてしまった。

「母国チームの計画に僕は欠くべからざる存在」

プダペストの曲がりくねったコースの後、フランコルシャンを訪れた僕は、心から喜びを感じていた。広々としたスペースに自然な形のコーナー、そして、本物のドライビングの喜びがここにはあるのだ。ベルギーへは、ビアリッツから直接やって来た。僕はビアリッツで、自分の将来について長い間考えていたのだ。

 バレストル会長が公に提唱している、フランスF1チームの計画が興味深いものであることには何の疑いもない。この件について、僕は長々と質問された。というのは、このプロジェクトの中で僕の存在が必要欠くべからざるものだからだ。僕はごくごく単純に、真実だと思っていることを答え、騒ぎを静めようとした。この件に関してはうわさは必要ない。完全な力を備えるためには、まったく完ぺきに秘密を厳守することが必要なのだ。つまり、こういうことだ。そう、僕が将来のリジェ・ルノー・チームに加わる可能性はある。そこでの僕の役割は? もちろんドライバーとして。でもそれ以外の役割もある。計画は? 5年間だ。いつ? 92年か93年から。しかしこれについてはまだまったく決まっていない。

 こういったことがはっきりしたところで、とりあえず目の前にあるのはベルギーGPだ。僕たちのフェラーリは、特にシャーシに関して、いい方向に改良されていた。予選で、僕たちは新しいシステムのサスペンションを使うことができたのだ。サスペンション・ブラケット(取りつけ支持部分)が改良されることによって、リアの動きが大きく良くなったものだ。僕はそれをすぐに証明してみせた。金曜日の予選の1セット目のタイヤで、完全に渋滞してしまっているシケインに入るまで、僕はとてもいいタイムで走っていたのだ。そして2セット目、あまりに猛烈なアタックした僕のタイヤは、1周を走り切る前にグリップを失ってしまった。

 土曜日に備えて、セッティングを見直すことが必要だった。そしてその結果はすばらしいものだった。2日目の予選で、僕はポールポジションのタイムを記録することができたのだ。でもこれは、たった数秒間のことだった。僕の直後にスタートしたセナが、すぐに順位をひっくり返してしまったのだ。それでも、これは悪くない結果だった。また、予選が終わった後で2位のリカルド・パトレーゼのタイムがキャンセルされたことによって、僕は1列目のグリッドに並ぶことができた。

 そう、ベルギーGPの見通しは悪くない。というのは、午前中のフリー走行で、レースに関してはうまいシャーシセッティングができていたからだ。また、エンジンはホンダやルノーほどすばらしいものではなかったが、低回転でのトルクよりもピークパワーが要求されるスパのようなコースでは、まあまあの力を発揮していた。

 ところが、僕はすぐにこの希望を捨てざるを得なくなった。日曜日の朝のウオームアップ走行があまりにもひどい状態だったからだ。それまで1度も発生したことのないトラブルが起こったことによって、僕は1周もまともに走ることができなかった。突然フロント・サスペンションの動きが悪くなり、思うようにコーナーを回ることができなくなったのだ。ウオームアップの僕のタイムは、このセッションでトップだったパトレーゼよりも2秒も遅いものだった。もちろん、フェラーリのエンジニアはすぐに解決法を見つけようと仕事に取りかかり、それに成功した。まったく確実というわけではなかったけれど、おそらく、それはスプリングの問題だったのだ。スターティング・グリッドに向かいながら、すべてがちゃんと作動することを確認した僕は、やる気満々でレースにいどんだ。

 1周目、僕はほとんどセナのペースについていくことができた。しかし、2周目の終わりにはもう、マンセルに道を譲ることを余儀なくされていた。エンジンが異常音を発し始めたのだ。そして、それも長くは続かなかった。3周目に入ってほんの数メートル走っただけで、フェラーリの後部には火がつき、僕は急いでコックピットから抜け出すことになってしまった。

 エンジンの振動のせいで、燃料系のラインがはずれてしまったのが原因だった。たった2周……レースごとに、僕のグランプリは短いものになっている。そして、ジャン・アレジがたぶんスクーデリアの名誉を守ってくれると思っていたけれど、彼もまたエンジンに裏切られていた。

 読者のみなさんがこのコラムを読むころには、僕はこれからについて交渉している真っ最中だろう。モンツァまでにはやるべきことが山ほどある。(訳・今宮雅子)

(次回はイタリアGP編を掲載します)