93年Round 1 南アフリカGP編
(93年3月17日掲載)
「復帰初戦を失うわけにはいかなかった」というプロスト。見事表彰台の頂点に立った(C)Chunichi
「復帰初戦を失うわけにはいかなかった」というプロスト。見事表彰台の頂点に立った(C)Chunichi
◆ Round 1 南アフリカGP
◆93年3月12〜14日 キャラミ
 ▽PP A・プロスト(ウィリアムズ・ルノー)
 ▽優勝 A・プロスト
【プロストの南アフリカGP】
 ▽予選 1分15秒696
 ▽決勝 1時間38分45秒082

「復帰第1戦を失うわけにはいかない」

 去年はマイクを握って読者の皆さんにコラムを送ってきたけど、今年はステアリングを握って、コックピットからの情報を届けることができる。やっぱり、この方がずっといいね!

 
 ことしもまた日本のファンに僕のコラムを読んでもらえると思うと、ほんとにうれしい。しかも、昨年とは違い実戦の生の体験をそのままお届けできる。93年の第1弾はもちろん久々のグランプリで感じたこと、セナとの握手、そして、予選からの戦いを振り返る。また、みなさんにとって気になっているはずの18日の評議会についても、触れておきたい。

 バカンスも楽しかったけれど、グランプリはもっと素晴らしかった。キャラミのサーキットに足を運んだのは、木曜日の午後のことだった。僕はこのコースを知らないドライバーなのに、ふてぶてしい態度だと思われるだろうか? 実際のところ、水曜日の午後にサントン・サン・ホテルに到着してから、僕は16カ月間離れていたレースの本当の雰囲気を味わっていた。つまり、トップチームのドライバーの孤独というものを、味わっていたのだ。

 たしかに、僕は昨年もTF1テレビのおかげでグランプリのサーキットを離れることはなかったが、テレビの仕事と、ドライバーとしてやって来るのとでは全然違う。今回は、本当にレースの中に自分が入っていかなければならなかったのだ。

 木曜日の午後の大部分は、エンジニアと話をしながら過ごした。その後、レンタカーでコースを走って、初めて僕はこのコースを知った。そこですぐにわかったことは二つ。まず、コースが狭すぎる上、完全なブレーキング・ポイントがないために、追い越しが難しいということ。そして、目印が不足していること。バイザーを通して見る限られた視界の中で、僕はアスファルトや縁石の状態をライン取りやブレーキングの目印にしている。でも、このコースにはその目印となる部分が少ないのだ。

 これらの情報を事前に得ることによって、僕は劣等感など持たずに金曜日の走行に挑戦することができた。劣等感を持たずに……。でも、本当はそれは表面上だけのことで、実際は、僕はある種の不安を感じていた。シーズンオフに行った多くのテストと、たった45分の間にほかの全員のドライバーと一緒に走ることは、まったく別のことだ。

 それでもその45分の走行で、僕はフォーミュラ1の素晴らしい興奮を感じていた。そして金曜日の午後にトップタイムを記録した時、正直言って、満足感は本当に大きなものだった。土曜日の朝になると、すべては、まるでこの前のグランプリが2週間前であったかのように進んでいった。僕の感覚は以前のままだし、僕がよく知っていた雰囲気も戻ってきた。マシンも、エンジニアも、スポンサーも、すべてが以前と同じように僕の前にあった。新しいスポンサー、セガの発表、満タンのテスト、計算、タイヤ交換の作戦……。

 ところで、僕は今年もコンサルタントとしてTF1の仕事を続けている。その一環として土曜日の朝、ウィリアムズのマシンでコースを走りながら、コメントを送った。これは世界でも初めて。土曜日の夕方、レースのためにまったく新しいタイヤを2セットと、2周走っただけのタイヤを1セット残していたことに、僕は満足していた。2回目の予選があんなに激しい戦いであったにもかかわらず、僕は今までと同じようにタイヤを節約して走っていたのだ。

 こうして21回目のポールポジションを記録した後の記者会見で、僕はセナと握手をした。それは短く、冷たい感じのする交歓だったが、僕にとってはものごとをはっきりさせておくためのものだった。僕は彼の発言も、世論の操作も、昨シーズン終盤のわがままも、すべてを許した。彼の方は僕の平和を乱さず、僕は今シーズンを迎えることができた。これが、あの握手の意味することなのだ。

 土曜日の夜、僕は考え込んでしまった。厄介な不安や、肩にかかるプレッシャーは、満タン状態で走れなかったという考えとともに、僕の頭から消えることがなかったのだ。復帰第1戦であるこのグランプリを、僕は失うわけにはいかなかった。ベネトン・フォードが十分にコンペティティブであることにも、マクラーレンのシャシーが本当に優れていて、おそらく、特にキャラミのようなコースではわれわれ以上の力があることにも、僕は気づいていた。

 こうして迎えたウオームアップで、僕はトップタイムを記録した。ところが、最悪のスタート。おかげで、僕はセナとヒルに先行を許してしまった。そしてその後、僕のノーズの直前でスピンしたヒルとの接触を、ぎりぎりのところで避けなければならなかった。でも、もっと難しかったのは、セナを追い越さなければならなかったことだ。アイルトンのことは、みんなも知っていると思う。彼は追い越しのためのスペースを空けるけれど、それは、本当にぎりぎりのスペースなのだ。それでも何が何でも行かなければならない。最初のグランプリで自分のテリトリーを示しておくことが、僕には必要だったのだ。そして、僕はそれをやった。

 表彰台の上で、僕は再びアイルトンと握手をした。とても大きな一歩を踏み出したことを、僕は心の中で感じていたのだ。この南アフリカGPが、最後までとても難しいものであったことを、僕は強調しておかなければならないだろう。最後の数周で雨が降り始めた時には、本当に不安だった。

 今週の木曜日、僕は世界評議会に出なければならない。自分のスーパーライセンスを守れることを、僕は祈っている。最大限に自分を弁護すると僕は言ってきたけれど、自分の名誉を守るため、FISAに提出する証拠は山ほどあるのだ。何らかの処罰を受けなければならなくなった場合にはどうするか、みんなは僕に尋ねてきた。その時には、僕はレースをやめると答えた。でももちろん、あれは冗談だったととらえてほしい。(訳・今宮雅子)

(次回はブラジルGP編を掲載します)