93年Round 2 ブラジルGP編
(93年3月31日掲載)
勝利をフイにしてピットへ戻ったプロスト。表情に悔しさがにじむ(C)Chunichi
勝利をフイにしてピットへ戻ったプロスト。表情に悔しさがにじむ(C)Chunichi
◆ Round 2 ブラジルGP
◆93年3月26〜28日 インテルラゴス
 ▽PP A・プロスト(ウィリアムズ・ルノー)
 ▽優勝 A・セナ(マクラーレン・フォード)
【プロストのブラジルGP】
 ▽予選 1分15秒866
 ▽決勝 29周リタイア(クラッシュ) 
 南アフリカGPを上回る絶好調ぶりだった。キャラミでは初日のフリー走行で2位、2日目のフリー走行でもトラブルで17位。予選での2位セナとの差も0秒088と接近していた。今回は金曜日のフリー走行から日曜日のウオームアップ走行まで全セッションでトップ。予選のタイムも2位ヒルに1秒近い差をつけた。決勝でも順調にスタートを切ったが……。

「何かを踏んでマシンが姿勢を乱すのを感じた」

 ブラジルに到着したときには、雨が降っていた。その5日後、インテルラゴスで29周の間トップを走ったという記録と、そしてアクシデント付きの見事なコースアウトを胸にブラジルを後にしたときも、やっぱり雨が降っていた。

 何カ月も前から僕が耳にしてきた、ばかげた話に終止符を打つレースだった。ウィリアムズが強すぎるからF1のシーズンはつまらなくなる。僕はもうチャンピオンを約束されてるようなものだetc、etc。みんなは、いつも一番大切なものを忘れているのだ。つまりレースと、レースの素晴らしさと、それに必ずついてくるリスクとを。

 平凡な出来事が重大な結果を招く。インテルラゴスで起こったことはまさにその例だった。僕は1ポイントも獲得できず、マクラーレン・フォードとウィリアムズ・ルノーはコンストラクターズ・チャンピオンで並び、ドライバーズ・チャンピオンではセナが僕に6ポイントの差をつけてトップに立った。ヨーロッパに行く前に、僕たちは1・2フィニッシュを実現しようとしていたにもかかわらずだ。仕方がない。約束されたものなど何もないのだ……。

 火曜日の朝、僕はパリでジャン・アレジと待ち合わせて一緒にショッピングに出掛け、それからヴァリグのサンパウロ行きのフライトに乗った。ブラジルの大地に降り立ったとき、僕はとても元気だった。世界評議会もうまくいって、スポーツが本来の権威を取り戻したのだ。多くの人が思っているのとは反対に−−それは多分、セナと僕が親友ではないからだろうけど−−僕はブラジルが大好きだ。とても面白い国だし、住んでいる人たちはすごく情熱的だ。彼らがアイルトンに熱狂するのも僕はよく理解できる。そして以前のリオ・ジャカレパグアも現在のインテルラゴスも、僕がすごく評価しているサーキットだ。リオでは5回、サンパウロでは1回優勝したことも忘れるわけにはいかない。

 ブラジルの人たちが僕のことを好きだという証拠も教えよう。空港に到着すると、僕は1台の車が待っているのを見つけた。スモークガラスの入った公用車だ。それにオートバイに乗った警官が4人、護衛についていた。僕がサンパウロに滞在している間、昼も夜もずっと、何でも僕の言う通りにすると、指揮を執る警官が僕に約束してくれた。オートバイの警官たちは水曜日の夜はシュラスカリア(ブラジルの名物料理シュラスコのレストラン)まで、そして金曜日の朝はサーキット、金曜日の夜は毎年行われるエルフのパーティーまで、僕を護衛してくれた。彼らは本当に素晴らしかった。サーキットに行くとき10kmほども道を間違ったこと、それからいろんな地区をごちゃまぜにして夜のサンパウロを十分見学させてくれたことを除いて……。でもそんなことは何でもない。数時間の間だけでも、自分が重要人物になった気分を味わうのはいいものだ。

 金曜日の朝から仕事が始まると、僕はすぐに安心していた。マシンはとても調子がいいし、自分のペースもすぐにつかんだ。つまりすべてが、僕の予想の中でも最も楽観的な通りに進んだのだ。

 南アフリカでは、ポールポジションを獲得してレースでも優勝したことによって、僕は大きな一歩を踏み出した。でも、キャラミのコースは多くを意味するコースではない。一方、サンパウロはシーズンを占う上で本当の判断ができるコースだ。インテルラゴスでマシン(そしてドライバー)の力が発揮されれば、シーズンを通してほとんどのサーキットでも同じだと確信することができるのだ。だから僕はとても落ち着いていた。マクラーレン時代の昔の習慣を再開したくらいだ。金曜日の夕方、そして土曜日の夕方も、僕は友達を集めて、夕食に行くまでの時間、トランプをして楽しんだ。

 最終的に僕が不安を感じたのは唯一、日曜の朝のウオームアップのときだけだった。ギアボックスが完ぺきには作動していないと感じたのだ。しかし、レースはご覧になった通りだ。僕たちが作戦ミスを犯したのではないかとか、なぜ、ウィリアムズはレインタイヤを交換するようにプロストに命令しなかったのかとか、なぜ、プロストは雨が強まってきたのにピットに入らなかったのかとか、僕は多くの質問を耳にした。真実は違う−−。

 まず、雨は最初、サーキットの片側では降っていたが、反対側では降っていなかった。そしてにわか雨がひどくなってタイヤ交換に入ろうというときに、僕は状況を分析した。ウィリアムズとはレースの前に作戦を決めていたが、もうそれを実行している場合ではない。僕は選択すべきだ。レースが危険な状態になってきたのを見て、僕はすぐにピットに戻ろうと決心した。そしてそれをピットに伝え、コース左側のピットロードの入り口へと急いだ。そのときだ。チームが無線で僕に何かこたえてきたのだ。僕はそれをデーモン・ヒルがピットにいるということだと理解した……。ウィリアムズのピットに、同時に2台のタイヤ交換するスペースはない。幸い、そのときは−−僕はこれを幸いだと思ったのだ−−僕はまだピットウオールのあるところまで行っていなかった。そこですぐにストレートの方のマシンの向きを変え、再びアクセルを踏んでいた。

 ピット前を通過してS字手前のブレーキングに入ったとき、マシンが何かを踏んで突然姿勢を崩すのを感じた。おそらく、ストレートでクラッシュしたばかりのマシンの破片だろう。僕は必死でマシンの姿勢を立て直そうとしたけれど、無理だった。スピンしたマシンはコース上に止まっていたクリスチャン・フィッティパルディのマシンに接触してフロントのカウルを失った。僕は勝利への希望を泥の中に捨ててしまったのだ。

 最初にも言った通り、約束されたこと、特に約束されたチャンピオンなど、絶対にないのだ。もしセナがドニントンでも走ることになれば、彼は手ごわい相手になるだろう。(訳・今宮雅子)

(次回は、ヨーロッパGP編を掲載します)