93年Round 9 イギリスGP編
(93年7月14日掲載)
記念すべき50勝目を複雑な気持ちで受け止めたというプロスト(C)Chunichi
記念すべき50勝目を複雑な気持ちで受け止めたというプロスト(C)Chunichi
◆ Round 9 イギリスGP
◆93年7月9〜11日 シルバーストーン・サーキット
 ▽PP A・プロスト(ウィリアムズ・ルノー)
 ▽優勝 A・プロスト
【プロストのイギリスGP】
 ▽予選 1分19秒006
 ▽決勝 1時間25分38秒189

「レースに関してデーモンと協定、でも彼は不幸だった」

イギリスGPを前に、僕はいつもとはまったく違う精神状態に陥っていた。まるでY字路に立たされたような気持ちでいたのだ。50勝の記録と、それが意味する“すべてを手に入れたい”という欲望と、デーモンが彼のファンの前で優勝することを望む気持ちの間で、僕の心は揺れていた。母国で優勝すれば、デーモンは父グラハム・ヒルの後を継ぐ英雄となるだろう。

 長い間考えた揚げ句、最終的には焦点を絞ってシルバーストーンに到着した。ポールポジションは取りにいこう。でも、レースに関してはデーモンと協定を結ぼう。もしレース中にタイヤ交換をすることになったら、その後はトップであり続けるのだ。もしデーモンがトップにいて、自分のポジションを守ろうとするなら、僕は彼を攻撃しないだろう。僕は彼自身の合意を得て、このことを明確にしたいと思った。というのは、フランスGPの後、僕たちがチームの命令によって、流して走っていただとか、あるいはデーモンが僕を抜かないようにという命令を受けていただとか、書かれているのを読むのが耐えられなかったからだ。

 実際、デーモンはシーズン開幕当時、チームの指示を受けていた。つまり、南アフリカGPでは、ぎりぎりの追い越しの際にはチームメート同士の接触は避けるようにと。シルバーストーンで、テクニカル・ディレクターのパトリック・ヘッドはこのことをもっと正確に説明した。「アランには、このような指示はしなかった。というのも、彼はベテランだし、そんな馬鹿げたことをしないと判断したからだ。しかし、もし必要なら、われわれは彼に対しても同じ指示を与えた」これが、はっきりさせておかなければならない点だ。

 フランスGPと比べて、ウィリアムズ・ルノーのマシンに与えられた改良は少しだった。車体のリア下部にフラップを加えること。そして今回もまた、ABSシステムだ。ここで、ABSというのは驚くほど軽いエレクトロニクスとメカニズムのシステムだということを、説明しておこう。このシステムを搭載すると、ABSがうまく作動するか、さもなければブレーキペダルがクタクタになってしまうか、どちらかなのだ。その不安が嫌ならば、マニクールでやったように、このシステムを完全にマシンから降ろしてしまう以外、方法はない。

 エンジニアと相談した結果、僕はレースでもこのシステムを使い続けることにかける決心をした。それより前、僕は自分のキャリアの中でもおそらく重要な意味を持つポールポジションを獲得していた。実際、デーモンは持てる力のすべてを注いでいた。そして細かい事柄も、彼に有利に動いていた。彼がトップのタイムを記録した直後、僕はすでにコース上にいた。チームには、ピットサインで彼のタイムを僕に知らせるだけの時間がなかった。疑問を抱いたまま、僕もまた、自分の力のすべてを出し切った。そして、勇ましいチームメートを小差でしのいでいたのだ。

 それでも、レースのスタートは混とんとしたものになった。というのは、トラクション・コントロールが効きすぎたせいだと思う。エンジンは回転を上げた後、完全に途切れ、そして再び回り始めた。でも、もう遅かった。デーモン、そしてセナまでもが僕の前に出ていた。レースの序盤は厳しいものになった。セナはなまやさしい相手ではないのだ。僕の追い越しを妨げるため、彼はできる限りのこと、そしてそれ以上のこと−−この問題についてはあまり長々と説明したくないのだけれど−−をやってきた。僕たちの戦いは時には限界に近かった。

 セナとの戦いが終わった後、今度はデーモンが待っていた。そしてタイヤ交換の時はその後すぐにやってきた。タイヤ交換の後も、デーモンは僕の前にいた。つまり、何か特別なことが何か特別なことが起こらない限り、僕は彼のポジションを妨げることはできないのだ。デーモンはとても速く、とても正確なドライビングでアタックしていた。ただ、彼にも僕にも、彼のエンジンがブローすることになるのだけは、分からなかったのだ。僕はデーモンから1位の座を受け継いだ。そして僕の50勝目が実現した。

 ゴールの後、マシンを止めて真っ先にやりたいと思ったのは、デーモンに会って話すことだった。「こんなことが起きるなんて、僕は望んでいなかった。君の落胆は僕にも理解できるよ。そして君と一緒にイギリスのファンがどんなに落胆しているかもね」表彰式や記者会見から解放されるとすぐ、僕はデーモンにそう伝えていた。

 だから、この50回目の勝利がとても価値のあるもの、僕に多くをもたらすものであると分かってはいても、それを本当に味わうことはできなかった。そして、チームのスタッフや友人たちにも、この勝利は終止符でも何でもないのだと、伝えたのだ。実際、僕はF1で50勝を挙げるのだというような、正確な目標を立てたことがなかった。それに、この後も勝とうと思っている。だが、これは本当に僕の50回目の勝利だったのだろうか? 今週末、パリで特別に世界評議会が招集されることは、みなさんもご存じのとおりだ。この評議会では、F1の技術のこれからが決定される。そして僕自身のこれからも決定されるのだ。

 FISAの技術者たちは実際、僕がバルセロナとモナコで使ったガソリンがレギュレーションに合致しないものだったと証明しようと、あらゆる努力をしている。本当のところ、僕のガソリンはレギュレーションに合致したものだけれど、その合法性の検証が正しい規則で行われなかったのだ。いったい、どうすることができるだろう? 僕たちはもちろん、自分たちの見解を主張するだろう。でもウィリアムズもルノーも僕自身も、失格を突きつけられればどう反応することができるだろう? 不当な判断に対して、どう反応すればいいのだろう?
 これは、フランク・ウィリアムズが連盟の望む新レギュレーションを受け入れるかどうかにかかっているのだろうか? 読者のみなさんも、僕がシルバーストーンの勝利を素直に喜べない理由が分かってもらえると思う。来週の火曜日、ピレネー山脈の3つの峠、トゥールマレ、オービスク、スロールで繰り広げられる自転車レースに僕は参加する。今はそっちのレースのことを考えたい気分だ。(訳・今宮雅子)

(次回はドイツGP編を掲載します)