93年Round 10 ドイツGP編
(93年7月28日掲載)
タナボタ優勝のプロストだがヒルの走行をしっかり観察していた(C)Chunichi
タナボタ優勝のプロストだがヒルの走行をしっかり観察していた(C)Chunichi
◆ Round 10 ドイツGP
◆93年7月23〜25日 ホッケンハイム・サーキット
 ▽PP A・プロスト(ウィリアムズ・ルノー)
 ▽優勝 A・プロスト
【プロストのドイツGP】
 ▽予選 1分38秒748
 ▽決勝 1時間18分40秒885

「ゴール前で予想外の勝利を引き継いだ」

 ホッケンハイムに到着したのはいつもよりずっと遅く、木曜日の夜のことだった。大好きなスポーツ、つまり自転車に、もう一日を費やすことに決めたからだ。ツール・ド・フランスのピレネーのステージで行われたアマチュアのレースに参加した僕は、242位という、まあまあの成績でゴールした。本物のツール・ド・フランスがやって来たのはその2日後のことだ。僕はこのプロのレースをレース・ディレクターの車で追走することになった。

 本当のことを言うと、少し退屈だった。というのは、車から眺めるよりもやっぱり自転車のハンドルを握ってレースに出ていたいと思ったからだ。でも、本当にそんなことをしたら、すごくみっともない結果になったことは分かっている……僕のタイムは7時間24分だったけれど、このステージの勝者は同じ196kmのコースを5時間45分で走りきってみせたのだ。

 ホッケンハイムでは、あまりにうれしくない驚きが僕を待っていた。ウィリアムズ・ルノーの調子が全然良くないのだ。おかしなことに、アクティブ・サスペンションはまるで……パッシブ・サスペンション(!)のようにしか動かないのだ。マシンはバンプの上を通るたびに跳ねた。このコースでは特にシケインの入り口、つまりブレーキングのポイントにバンプがたくさんある。

 このコース上のワナは、たくさんのドライバーを巻き込んでいたけれど、僕もそのひとりだった。デーモンも僕も、タイムを出そうと必死に努力した。けれどグリッドの1列目は押さえたものの、僕たちとほかのマシンの差はいつもよりずっと小さなものになった。

 状況はまったく良くならなかった。めったにやらないことだけれど、僕はパトリック・ヘッドと彼のエンジニアにこの問題の解決を頼み、自分はリカルド・パトレーゼの250戦を祝いに行った。僕もベテランと呼ばれるドライバーのひとりだけれど、F1にひとつの時代をしるすこの記録に、リカルドは本当にふさわしいドライバーだと思う。

 日曜日の朝、担当エンジニア、デビッド・ブラウンとパトリック・ヘッドは、より適切なセッティングを見つけたと僕に告げた。でもそれを試す時間は、本当になかったのだ。というのはまずウオームアップがかなりの雨に見舞われたため。そして、デレック・ワーウィックの恐ろしい事故によって、中断されたためだ。

 彼の事故を見て思い出したのは、ディディエ・ピローニの悲劇だった。それでも82年のこの同じグランプリでディディエが僕のルノーに追突してきた時は、僕は完全にラインからはずれた所を走っていた。ところがルカ・バドエルの場合はまったく逆にライン上を走っていたのだ。時速200kmくらいで走っていた彼には、僕自身も追突しそうになった。デレックも僕も、300km以上で彼に追いついてしまったからだ。

 ウオームアップは中断され、その間にコースは乾き始め、結局、僕はマシンのチェックをすることができなかった。その上、今回のドイツGPは本当にくじ引きのようなレースになった。スタートの時点では太陽が照っていたけれど、予報では突然の豪雨が予測されていることを、だれもが気にしていた。今のところコースは乾いているけれど、ドライ用のセッティングでスタートしていいものか、あるいは大雨を予測してレイン・セッティングでスタートするべきか……僕はドライ・セッティングにかけた。つまり、サスペンションは比較的柔らかめに、車高は低めにして、ウイングをほとんど寝かせるセッティングだ。これはうまくいった。

 その後の僕のレースに関しては、考えるべき点が3つあったと思う。まず、最初の疑問は僕に科せられた10秒ペナルティーだ。レースが終わった後、僕はこのペナルティーについてどう思うか、尋ねられた。今回のペナルティーに関しては、常軌を逸したどころか、スキャンダラスな決定ですらあったと思う。もし、僕にこのペナルティーを科した無知な人間が、一生のうちに一度でもレーシングカーというものを運転する機会があれば、あの場合、縁石を越えていく以外に事故を避ける方法はなかったと分かるはずだ。

 マーティン・ブランドルについても、まったく同じことが言える。とにかく、僕は自分が罰を受けるようなことをしたとは、思っていない。それでも、こうなった以上はそれに対応しなければならなかった。“もう、このグランプリは失った。デーモンが優勝するだろう。2位のポイントを確保する方が得策だ”そう自分に言い聞かせながら、僕は慎重にアタックしていく決心をしていた。

 それでも、ひとつ気になった点があった。ひどいスタートのあとでデーモンに追いついた時、彼がマシンやタイヤをあまり“節約”していないことに、僕は気づいていた。こういうことは、場合によっては知っていて損はない……僕が追いつくことを予想して(実際、一時は30秒以上にまで開いていたチームメートとの差を、僕は13秒まで縮めていた)、彼はタイヤに厳しい要求をしすぎたと思う。でもいずれにしろ、僕の方も自分のマシンの動きがだんだんおかしくなっていることに気づいていたから、ゴールまで5周というところでペースを落とすことに決めた。

 ゴールまで3周のところでタイヤ交換をしたところを見ると、おそらくセナもまた、僕と同じ不安を抱えていたのだと思う。彼はその問題を解決しようとしたのだ。不幸なことに、デーモンの場合はこの不安が現実のものになった。あと1周半というところで彼はタイヤ・バーストの犠牲になってしまったのだ。彼は、タイヤを消耗し過ぎたのだろうか。それはもっと後になってわかることだ。

 彼のトラブルを見た時、僕は50%くらいしか驚かなかった。それでもゴールの直前で引き継いだ勝利は、予想外のものだった。今回のように運良く得た勝利を帳消しにしてしまうくらい、不運によってレースを失ったことは僕にも何度もある。
 このドイツGPについて、最後に残った大きな疑問は僕のスタートだ。今回もまた、ひどいスタートだった。そこで、僕は読者のみなさんと同じように、自分に疑問を投げかけてみた。そして、答えも見つけた。つまり、いいスタートができないなら、ポール・ポジションは何の役にも立たないということだ。特に、追い越しの難しいブダペストではなおさらだ。

 ハンガリーGPで優勝するために、やるべきことはただひとつ。スタートの練習をすることだ。2週間後に、僕はそれを行う予定だ。その前に少し休暇をとるため、僕はメリベルの山に出かけるつもりだ。(訳・今宮雅子)

(次回はハンガリーGP編を掲載します)