93年Round 12 ベルギーGP編
(93年9月1日掲載)
3位ながらプロスト(右)はウィリアムズのコンストラクターズV決定を素直に喜んだ。左はシューマッハー、中央はヒル(C)Chunichi
3位ながらプロスト(右)はウィリアムズのコンストラクターズV決定を素直に喜んだ。左はシューマッハー、中央はヒル(C)Chunichi
◆ Round 12 ベルギーGP
◆93年8月27〜29日 スパ・フランコルシャン・サーキット
 ▽PP A・プロスト(ウィリアムズ・ルノー)
 ▽優勝 D・ヒル(ウィリアムズ・ルノー)
【プロストのベルギーGP】
 ▽予選 1分49秒571
 ▽決勝 1時間24分47秒112 3位

「ウィリアムズ・ルノーのタイトルを決定した」

 ハンガリーGPを終えてすぐ、僕はビアリッツに向かった。日常的な仕事の調整のためにほんの少しパリに戻った以外は、自転車とゴルフと……。バカンスは本当に楽しいものだ。こんなふうに、とても勤勉とはいえない日々を過ごした後、僕は金曜日の早朝にスパ・フランコルシャンに到着した。そこでは僕の担当のチーフ・エンジニア、デビッド・ブラウンが敢然とした面持ちで僕を待っていた。

 どんなリスクも冒さないで、短時間であらゆるマシン・セッティングを研究するところから、僕たちの仕事は始まった。スパはパーマネント・サーキットではない。1度もテストが行われていないコースだ。それだけではなく、ものすごく複雑な特性を持ったコースだ。ここでは、ウイングの大きさ、ダウンフォース、空気抵抗、ライド・ハイト、サスペンションの硬さの調整などはすべて、すでにテスト済みで既知のセット・アップから始めるのが賢明だ。また、ここで具体的な技術革新をテストするなどは、もってのほかだ。

 こうして一通りのセッティングを考えた後、デビッドは、まず1周を走った後、そのままピットに戻るよう僕に指示した。タイヤ交換と、ウイングの検査のためだ。「たった3〜4分で済むことだから」彼は僕に言った。「ブダペストよりも3〜4分かかるって言いたいの?」彼をからかうつもりで、僕はこう答えていた。2週間前を思い出してもらえれば分かるように、ハンガリーでは僕の“ウイング・ストップ”は9分以上もかかったのだ。

 少し顔を赤らめながらも、彼はすぐ自分を取り戻して話し始めた。「分かっていると思うけど時にはドライバーの責任でレースを失うこともあるんだ。昨年、僕たちはそれで敗北した。リカルド・パトレーゼは、パトリック・ヘッドが彼に何を言いたかったのか、分からなかったからね。パトリックは、リカルドがコース上の水たまりを選びながら走って、あと1周だけレイン・タイヤをもたしてほしいと言ったんだ。でもリカルドは、あと3周の間コース上にとどまらなければならないと思った。こうして、最高のタイミングでタイヤ交換したシューマッハーがレースを制し、僕たちはそのグランプリを失った」

 これを聞いた僕は、すぐにも車載の無線をチェックしなければならないと考えた。デーモンと僕はお互いに違う方向でセッティングを進めていた。それによって、僕たちは素早くうまくセッティングを見つけ出すことができた。ただし、僕の方にはほんの少し、留保されている部分があった。ラディヨンでの動きが良くなるセッティングを見つけ出せないでいたのだ。それに、2日目の予選では、デーモンからポール・ポジションを奪うため、自分にはっぱをかけなければならなかった。

 レースの時がやって来た。“ノーマルな”スタートをした僕は、直接の対戦相手たちと同じ作戦をとるためのペースを計算し始めた。つまり、2回のタイヤ交換をすれば僕には余裕が出てくる。それで最後まで安全に走り切るのだ。最後まで安全に、というのは、このレースでは、与えられた義務をすべて果たす必要があったからだ。自分自身の目標であるドライバーズ・チャンピオン。ここでウィリアムズ・ルノーが手に入れようとしているコンストラクターズ・チャンピオン。できればそれをウィリアムズのGP70勝、ルノー50勝と組み合わせること。これらすべてを考えて走らなければならない。

 2度目のタイヤ交換まで、僕のレースは作戦通りに進んでいた。ところが30周目を終えたところでピットに入ったところから、すべてがちぐはぐになり始めた。1度目のタイヤ交換では、僕は作戦通りデーモンの前でコースに戻った。けれど2度目の交換ではピットアウトに時間がかかり、ピットから出たところでラ・スルスのヘアピンを抜けてきたデーモンと出会ってしまった。それでも、彼を追い越すのは簡単なことだと思った。ところが事実は僕の思った通りには進まなかった。逆に、僕はシューマッハーまで前に行かせることになってしまったのだ。

 自分がセナの手の届かないところにいることを考えると、3位のポジションは安泰だった。でも、今までの努力を考えると、3位という結果は何て小さなものだろう。ちょうどこのころ、僕はあるトラブルの兆候を感じ取っていた。それがどんなトラブルだったのか、今の段階では明確に記することはできない。ウィリアムズの秘密にかかわる問題だからだ。燃費の問題も話題になった。たしかに、それも少しはあったけれど、僕がレースを失うほどのトラブルではなかった。デーモンが2勝目を挙げたレース後、記者会見でも、僕はサスペンションのトラブルがあったとだけ言った。本当に何が起こったかは、もう少し時間がたってから読者のみなさんにも伝わると思う。

 それでも、僕とデーモンはまず第1の目標を達成していた。ウィリアムズ・ルノーのコンストラクターズ・タイトルが決定したのだ。残るはもうひとつ、僕のドライバーズ・タイトルだ。それには、セナとの差をあと2ポイント広げるだけで十分だ。モンツァで実現することは可能だ。それを勝利で締めくくることができれば、こんなに素晴らしいことはないだろう。(訳・今宮雅子)

 (次回はイタリアGP編を掲載します)