93年Round 15 日本GP編
(93年10月27日掲載)
鈴鹿ラストランはまたしてもセナ(左)の後塵を拝した。が、プロストの表情には満足の笑みが浮かんでいた。右はハッキネン(C)Chunichi
鈴鹿ラストランはまたしてもセナ(左)の後塵を拝した。が、プロストの表情には満足の笑みが浮かんでいた。右はハッキネン(C)Chunichi
◆ Round 15 日本GP
◆93年10月22〜24日 鈴鹿サーキット
 ▽PP A・プロスト(ウィリアムズ・ルノー)
 ▽優勝 A・セナ(マクラーレン・フォード)
【プロストの日本GP】
 ▽予選 1分37秒154
 ▽決勝 1時間40分39秒347 2位

「セナだけが愛されている感じではない…大切なことに気づいた」

 ポルトガルGPの後、僕はフランク・ウィリアムズに約束していた水曜日までのエストリル・テストに参加し、その後、スイスのイエンで家族と一緒に数日のバカンスを送ってから、パリに戻った。パリでは、仕事のための多くのアポイントが入っていた。でも、引退を決心し、それを発表した後では、これは当たり前のことだ。これからは本腰を入れてやっていかなければならないことだから。

 というわけで、僕は仕事上、多くの接触を持ったが、僕がリジェを買収しようとしているとか、来年、マクラーレン・プジョーで走る準備をしているとか、騒がれたのはたぶんそのせいなのだ。だが、真実は違う。たしかに、僕はフランスのチームを率いて、そのチームをタイトルに導きたいと思っていた。というのは、それは自分自身に与えたもうひとつの挑戦だったからだ。でリジェの一件はあまりにも複雑すぎたから、僕は早々とあきらめていた。

 マクラーレン・プジョーについては、ほとんど冗談のような話だ。ロン・デニスはエストリルで、来年から僕が彼のチームで走ることは可能だと言ったのだ。僕はそれが不可能であることを、彼に伝えた。契約上はまだ、ウィリアムズに在籍するのだ。こういういろいろな話があったものの、僕はスイスでのバカンスは十分に楽しんだ。4度目のワールド・チャンピオンを獲得し、ヘルメットを脱ぐ決心をしたのだから。たとえばフィリップ・アリオーと彼の親友、500CCのグランプリ・ライダーであるクリスチャン・サロンなどと山の中でオフロードバイクを楽しんだり……。

 ジャン−ピエール・ジャブイユのヘリコプターに乗って、フランス北部の小さなカート・コースに向かい、アリオーと一緒に、12月の18日と19日にベルシーで行われる、F1ドライバー全員によるカート・レースに備えて練習したり、先週の土曜日には、僕は自転車のレースに参加したし、その後、ルノー・エルフ・キャンバス・シリーズの最終戦にも出た。こうして、日本GPのために鈴鹿に向かう時がやって来た。日本GPは、僕にとって“最高の形”で始まった。何にしろ、金曜日の朝、3周走っただけでエンジンが壊れた。しかしその午後、僕は最速タイムを記録することに成功した。

 そして、その後で僕は大切なことに気づいたのだ。サーキットからホテルに向かう途中、みんなが僕に対してすごく親切だったことだ。日本のファンにも少し評価されていること、少し愛されていることを、僕は感じていた。いつもの年のように僕のライバルであるアイルトン・セナだけが愛されている感じではなかった。これは、必ずしも僕が引退するからだけではない。サーキットでは、もう旧知の仲となった東京中日の加藤延之総局長からすばらしいプレゼントを贈られたし、僕と会うことだけを望んで鈴鹿までやって来た若者にも会った。3年前からこの4度目のタイトルを待っていたと、僕の前で顔を赤らめながらトリコロールの横断幕を広げてくれた女の子たちには、お礼のキスをした。夜にはフラビオ・ブリアトーレ、ジャン・アレジと食事をしながら、日本に滞在するのもステキなことだと、感じていた。

 土曜日の朝、僕はやっと、真剣にマシンのセッティングに取り組むことができた。けれど進歩はしたものの、まだ、十分に僕の好みでないことは、午後の予選でもわかった。大方の期待に反して、僕はベルガーのフェラーリ、そして特にハッキネンとセナのマクラーレンと戦わなくてはならなかったのだ。いい加減に走っていたわけではない。本当に厳しい予選だったのだ。これは、3つのことを証明していた。まず第1に、今のウィリアムズ・ルノーは、細かいコーナーが続くところ、つまり急激な姿勢変化が続くところでは、決していい動きにならない、次に、人がどう考えていようと、アクティブ・サスペンションは決して最高の状態に仕上げることができないのだ。この欠点をうまく隠してきたのは、ルノー・エンジンのパワーだった。

 最後に言えるのは、これは、昔からの僕の理論を確認するものであるということだ。マクラーレンではすでに明らかになっていることだけれど、今年のウィリアムズの場合のように、タイトルを守りにいくチームというのは、技術的なリスクを最小限に抑える傾向がある。レースに備えることに大部分の時間が費やされることになり、マシンの進歩が鈍るのだ。その結果、ある日、ライバルたちが追いついてくる。土曜日の午後の鈴鹿では、特にマクラーレンとの比較において、この点が明らかになったと思う。

 日曜日の朝のウオームアップでは、その流れがますます強まった。およそ25分近く、僕はマシンのセッティングを仕上げるのに費やした。そして、最後のラップぎりぎりまで、最速のラップタイムを出せなかったのだ。もう、疑う余地はない。レースはとても過酷なものになるだろう。それでも、僕はダウンフォースを少し加えるという賭けに出た。タイヤ交換を1回だけにしたかったのだ。雨という要素が加わらなければ、僕の賭けは成功したと思う。

 「今日のようなレースでは、何が起こっても不思議じゃない」

 セナはそう言っていたけれど、本当にそうなってしまたのだ。みんなも見たとおり、僕はオイルに乗ってコースから外れさえした。コースに戻れたのは、幸運だった。ドライ・コンディションでは重く固かったマシンの動きは、濡れた路面の上ではもっと軽く柔軟なものになった。でも、1回だけのタイヤ・ストップという僕の作戦は失敗に終わった。アイルトンに、追いつくことはもう無理だった。特にこういったコンディションにおいては、彼のマクラーレン・フォードはものすごく性能が高い。
 今回もまた、僕の成績は2位に終わった。でも、自分自身のレースに不満はない。コースが乾き始めると、ウィリアムズはまた微妙な反応を見せ始めたし、それに加えて、タイヤ交換でもホイールナットが外れなかったり、ちょうどピットインしてきたハッキネンのおかげで3秒長く止まることにもなってしまった。本音を言おう。日本GPは本当に難しすぎるレースだった……。そう、僕のような退役ドライバーには!(訳・今宮雅子)

 (次回はオーストラリアGP編を掲載します)