93年Round 16 オーストラリアGP編 最終回パート1
(93年11月10日掲載)
セナは表彰台で和解の握手をすると、プロストの手を取りたたえた(C)Chunichi
セナは表彰台で和解の握手をすると、プロストの手を取りたたえた(C)Chunichi
◆ Round 16 オーストラリアGP
◆93年11月5〜7日 アデレード市街地コース
 ▽PP A・セナ(マクラーレン・フォード)
 ▽優勝 A・セナ
【プロストのオーストラリアGP】
 ▽予選 1分13秒807 2番手
 ▽決勝 1時間43分36秒735

「キャリアに終止符を打つコラムを書く」

 このコラムを書くのも、今回が最後になる。僕の93年シリーズを締めくくるコラム。4度目のタイトルを祝うコラム、そして、F1ドライバーとしてのキャリアに終止符を打つコラムだ。この日が僕にとってどんな日か、みんなにも想像できると思う。

 感傷的な部分から話すなら、僕は今、F1で走った13年間を振り返り、かみしめている。喜びと苦しみ、幸福と不幸、勝利やタイトル、それと隣り合わせの怒りやフラストレーションの入りまじった気持ち、毎日の生活、友人であったドライバーたちの、何人かの死……それらすべてが思い出される。まるで、映画“すぎさりし日の……”に描かれたように。

 喜びについて話すなら、今日までスポーツ選手として戦ってきたこと、そしてこの13年、今日まで同じ情熱を持ってF1のステアリングを握ってこられたことは、僕にとって何の混じり気もない大きな喜びだった。休む間もなく、毎日が挑戦の連続だった。それでも、どんな瞬間にも、僕はドライバーとしての生活を尊重してきた。それを捨てていくのだから、寂しさも感じる。4年間、このコラムを通して知り合った読者のみなさんに向けて書くのも、これが最後だと思うと、ある種、ノスタルジーに似たものを感じる。

 でも、感傷は抑えて、旅の目的地アデレードに向かおう。日本のファンの僕に対する態度の中に、以前より少し多くの愛情や敬意を見つけたことは前回の日本GPのコラムでも書いたけれど、レースの翌日の月曜日、名古屋空港で飛行機に乗ろうとした時にもそれは確認された。空港では多くのファンが待っていて、僕は彼らと一緒に写真を撮ったり、サインをしたりしながら、多くの祝福の言葉や贈り物を受け取っていた。それから、僕はバリに向かう飛行機に乗った。何人かの友達と、まるまる1週間のバカンスを過ごすのだ。

 それでもひとつ、信じられないようなことだけど、みんなには信じてもらいたいことがある。バリの人たちはすごいF1ファンで、グランプリの日曜には中継放送も見ているのだ! だからインドネシア航空に乗った時は、クルーが殺到してきた。そして飛行中には、僕は機長に招かれて操縦かんを握ることになった。でもその直後に気づいたのは、操縦室がカメラマンや見物人、ジャーナリストでいっぱいになっていたことだ。その上、これを聞きつけたエリック・コマスが息子を連れてやってきて、2歳半になるアントニーが計器類の間に入り込んでしまったから、大変だ。あまりの騒ぎに、これはふたりのパイロットに操縦かんを返した方がよさそうだと思った僕は、DC10のテストは早々に終わりにすることに決めた。

 バリでは本当にリラックスして、すばらしい時間を過ごすことができた。毎日のように、僕は繰り返し思っていた。もうすぐ、大きなバカンスがやってくる……。でもその前には、戦うべきグランプリがひとつ。オーストラリアでは、もうひとつ勝利を重ねたい。

 アデレードの雰囲気は、いつもとても特別なものだ。レースの週末は、まるで一種の民族行列のようで、その間には数多くのパーティーが挟まれている。水曜日の夜には、僕に4度目のタイトルを取らせてくれたメカニックたちを招待すると約束してあった。彼らにはお気に入りの場所を選ぶよう任せてあったから、きっとトップレス・バーになると僕は信じていた。でも彼らが実際に選んだのはカラオケだった。

 ところが、これが大正解だったのだ。というのは、クリスチャン・コンゼンとベルナール・デュドが歌った(あるいは歌おうとしたと言うべきかもしれないけれど)ビートルズは、本当に驚くべき、とんでもないスペクタクルで、どうして今までこれを知らないでいられたのか、不思議なくらいだ。ベルナール・デュドはすばらしいエンジンを造るし、彼の道は歌にではなく、エンジンにあるというのは本当にラッキーなことだった。それに、アデレードに来ていたジョージ・ハリソンが、彼らの歌を聴かなかったのもラッキーだった。もし彼がその場にいたら、パトカーや消防車を呼んだかもしれない。

 ジョージとは長時間、モータースポーツについて語り合う機会があったけれど、彼は本当に車や自動車レースが大好きなのだ。木曜日の夜もパーティーだった。この日はキヤノンの人たちと一緒だ。彼らもまた、僕たちのタイトル、僕の引退を祝ってくれた。今年でウィリアムズを去る彼らにとっても、今回が最後のグランプリだ。

 金曜日の夜には、僕は仲間を集めた。ジャン・アレジや数人の友達と一緒に静かな食事をしたのは、ハイアット・ホテルにあるオーストラリアでも有名な日本レストランだ。土曜日の夜には同じメンバーでなじみのイタリアンレストランに行った。アデレードに来るのもこれが最後だ。この日はフィリップ・アリオーも加わって、みんなで、過去のさまざまなエピソードを話し合った。それはもちろんおかしなエピソードばかりで、僕たちは涙を流して笑い続けた。(訳・今宮雅子)

 (パート2へつづく)