93年Round 16 オーストラリアGP編 最終回パート2
(93年11月10日掲載)
レース後の会見でセナ(右)とほほ笑み合うプロスト(C)Chunichi
レース後の会見でセナ(右)とほほ笑み合うプロスト(C)Chunichi
◆ Round 16 オーストラリアGP
◆93年11月5〜7日 アデレード市街地コース
 ▽PP A・セナ(マクラーレン・フォード)
 ▽優勝 A・セナ
【プロストのオーストラリアGP】
 ▽予選 1分13秒807 2番手
 ▽決勝 1時間43分36秒735

「最後のグランプリが終わった。心の平和が戻ってきた」

 レースの話に入ろう。金曜日と土曜日の二日間で、僕は52回目の勝利がとても難しいこと、不可能ですらあることに即座に気づいていた。何か例外的なことでも起こらないかぎり、僕はアイルトン・セナの後ろの2位、あるいはミカ・ハッキネンの後ろの3位、ミハエル・シューマッハーの後ろにさえなってしまうだろう。バンプへと跳ね続けるウィリアムズのマシンはセッティングすることが不可能なのだ。日本GPの夜には、パトリック・ヘッドがこれを称して“セックス・マシン”という言葉を使ったけれど、まさにそのとおりなのだ。

 マシンから降りた僕は、アイルトンのマクラーレンがすべての問題を難無く、縫うようにしてすり抜け、その性能を発揮しているのを、テレビの画面で見ていた。気温の上がった土曜日、だれもが金曜日のタイムを上回れない中でデーモン・ヒルがポジションアップした時には一瞬、希望も感じた。でもすぐに、それはデーモンが自分自身の力を出し切ったせいだとわかった。

 そして日曜の朝のウオームアップでは、僕はさらに大きな問題を感じていた。アクティブ・サスペンションの作動があまりに悪いのを感じた僕は、レースにはスペアカーを使うことを選択していた。そう、ウィリアムズ・ルノーはもはや、シーズンオフに経験したようなコンペティティブなマシンではなくなったのだ。

 日本GP後のコラムでもこの点については説明したけれど、厳しい現実はタイムによっても確認されることになった。TAG・ホイヤー・オリベッティのコンピューターが、最速タイムだけの比較、つまり92年と93年の各チームの予選最速タイムだけを比較した数字を配布したのだ。それを見ると、トップはフェラーリだ。今年の彼らのタイムは、92年のものと比較すると驚くべきことに1秒997、つまりほとんど2秒も短縮されているのだ。2位はベネトンの1秒112、そして後方の3チーム、すなわちタイムを落としたチームはウィリアムズ(0秒435)、ティレル(0秒452)、そしてロータス(0秒587)だ。これを見ればすべてが語られている。

 したがって、僕にとって最後のグランプリは単純なシナリオでは進まないことは明らかだった。自分のマシンの性能がアイルトンのものより劣ることを認識して、僕は違うタイヤ作戦を考えていた。僕たちがタイヤをあまり消耗させていないことは確認してあったからだ。けれど結局、周回遅れのマシンによってレースは違った展開になってしまった。アイルトンへ追いつくチャンスも、それによって完全に断たれてしまった。でも、これがレースだし、不満を言うつもりはない。僕は最後のレースを表彰台で飾ることができたのだ。チェッカーフラッグを受けた後、僕はチームに向かって、観衆に向かって手を上げた。すべては終わったのだ。

 ヘルメットをぬいで、僕は自分のマシンに最後の視線を投げた。優勝したアイルトンを祝福しに来たロン・デニスには、もう一度、来年は走らないことを告げていた。そして表彰台に向かいながら、アイルトンを祝福した。彼は表彰台の上で、僕にそれを返した。僕たちが友達に戻ることはないだろう。友達であるべきだったのは、僕たちがチームメートだった時なのだと、彼に告げる機会はすでにあった。それに、偽善者になる必要もないのだと。それでも、F1が技術だけのものでも、ビジネスだけのものでも、あるいはショービジネスだけのものでもないこと、あらゆる意味でのスポーツがそこにはあることを、アデレードの表彰台で僕たちは見せようとしたのだ。

 記者会見、チームへのお別れの言葉……。そして突然、うつろな瞬間がやってきた。

 「心の平和が戻ってきたかい?」

 TF1のインタビューで、ジャンルイ・モンセが僕にこう尋ねた。その通りなのだ。僕は心静かに、家族のこと、そしてこれからのすてきな人生を思い浮かべていた。普通の人間の生活が、手に入るのだ。それに、このあとすぐには長期間のバカンスだ。

 日曜日の夜、僕は数少ない友人たち、トレーナーのピエール・バレディエと、僕のカメラマンのジル・ルヴァン、そしてジャンルイ・モンセを伴ってアルゼンチン料理のレストランに行った。そのレストランに、ピエールルイジ・マルティニがひとりでやってきた。ティナ・ターナーのコンサートに行っていた彼は、人込みの中で友達とはぐれてしまったのだ。僕は彼も僕たちのテーブルに誘った。何かすてきなプレゼントでもされたみたいに喜びながら、彼は僕を見つめてこう尋ねた。

 「アラン、僕は来年も君に会えるかな」

 頭の中を整理してよく考えるのには2、3カ月が必要なのだと、僕は答えていた。その後にならないと、先のことは決まらない。今のところ言えるのは、何も決まっていないということだけだ。長い1日だった。でもすぐには眠りたくなかった僕は、カジノに行って1000ドル勝った後、夜中の2時ごろにようやくホテルに戻った。

 ホテルの部屋には、TF1のスタッフからのプレゼントが届いていた。それは本物のアボリジニのアンティークで、素晴らしくきれいで精巧な細工を施したブーメランだった。正確な方法で空に向かって投げると、必ず放たれたもとの位置に戻ってくる。何か深い意味があるように、僕には思われた。(訳・今宮雅子)

(おわり)