93年Round 14 ポルトガルGP編
(93年9月29日掲載)
ヒル(左)とシューマッハー(奥)からシャンパンの手荒い祝福を受けるプロスト(C)Chunichi
ヒル(左)とシューマッハー(奥)からシャンパンの手荒い祝福を受けるプロスト(C)Chunichi
◆ Round 14 ポルトガルGP
◆93年9月24〜26日 エストリル・サーキット
 ▽PP D・ヒル(ウィリアムズ・ルノー)
 ▽優勝 A・プロスト(ウィリアムズ・ルノー)
【プロストのポルトガルGP】
 ▽予選 1分11秒683 2番手
 ▽決勝 1時間32分46秒309

「もう、喜びはここにはない。だから引退…」

 4度目のタイトルを獲得したからといって、ものすごく盛大なお祝いは行われなかった。花火が上がったわけじゃないし、100人も招待して宴会をしたわけでもない。僕はビデオでテレビに映った表彰台の光景を見つめいていた。ミハエル・シューマッハーは目に涙をためていた。僕もそうだ。恐らく、長いトンネルを抜け、暗やみの中から光の下に出て来たような感動だと思う。

 それから親しい友達何人かと集まって、僕たちはお祭り騒ぎをした。思い切り飲んだり、レンタカーでいたずらをしたり、ジャン・アレジともう1度レースをしたり……。その後、エストリルのカジノに行った僕はルーレットでももうけてしまった。喜びの中で笑い転げて過ごしたこの夜、僕は一晩中、考えていた。もっと、楽しむことを知らなければいけない。あと2戦で、僕は(少なくともドライバーとしては)フォーミュラ1に永遠のサヨナラを言うのだから。僕が自分で定めた目標、つまりフランスのF1チームを勝利に導くという目標は変わっていない。でもリジェという選択は、実現するにはまだまだ遠いところにある。

 僕が引退を発表したことに関して、スクーデリア・フェラーリの広報ジャンカルロ・バッチーニは次のように評した。「アラン・プロストの引退。それは初めてのプレスに対するドライバーの敗北だ」少々厳しい言葉だけれど、まったく意味を欠いているわけでもない。ここで僕はこう打ち明けることができる。僕はもうフォーミュラ1の世界で進んでいく気がしなくなったのだ。ドライビングが嫌になったというわけではないから、そこは気をつけてほしい。むしろ、逆にもうステアリングを握れないというのは、一番残念なことなのだ。できればあと1年か2年はドライビングを続けたかったし、まだまだ走れるということを証明できたと思う。でも人生においては、物事のいい面と悪い面のバランスを見極める術を知らなければならない。悪い面の方がいい面より重く感じられたら、そこで辞めた方がいい。去っていく方がいいのだ。

 いい面−−それは僕のF1そのもの、ドライビングの喜び、僕のチーム、フランク・ウィリアムズやベルナール・デュド、この素晴らしいチームにおけるすべての人間関係、それにジャン・アレジのようなとても貴重な友達の存在も忘れてはならない。でもそれに比較して僕が耐えなければならなかったのは、一部のプレスの絶え間ない攻撃だった。ドニントン以来のことだ。彼らによると、僕はもう役立たずだということだ。しかもそれはつらいシーズンオフに続いてのことだった。マンセルがF1を去ったのは僕のせいだと言われたり、スーパーライセンスを発給しないと言われたり、チームの参加登録が認められなかったり……、ただただ、問題と、虐待と、侮辱と、うんざりすることだけが続いた。
 
 それからドニントンの後は、モナコGPのペナルティーだ。そしてホッケンハイムのペナルティー。結局僕がどんなに努力をしても、もはや本当に評価されることはないのだということは、とてもはっきりしていた。それでも神様だけは、ポールポジションを獲得するため、グランプリをリードするため、どんなふうに一生懸命やってきたか、見ていたはずだ。

 今年は、ポールポジションを獲得した後も、優勝や表彰台の後も、記者会見のためにプレスルームに入っていったとき、わずかな拍手を受けることすら一度もなかったという事実も認めざるを得なかった。そしてとどめの一撃を受けたのは、ブダペストでフォーメーション・ラップの前にエンジンをストールした時だと思う。このときには、僕はもう、ウィリアムズのクラッチに少し問題があったことに触れようとさえしなかった。そんなことをしたって、みんなは僕をばかにしたことだろう。実際、エストリルではデーモンに同じ災難が起こった。プダペストは、全く僕のミスではなかった証拠だ。

 こんなことを繰り返し言っても、もう過ぎ去ったことだ。僕はただ、モータースポーツの健全な喜びのほかに、フォーミュラ1には他の一面もあり、僕はもうこの一面を見たくはなかったということを書きたかったのだ。仕方ない。F1が僕を惜しむかどうかは、この先になれば分かるだろう、正直に言って、スポーツは富や社会的地位など、僕にすべてをもたらしてくれた。ポケットに700フランをためてカートを始めた時以来、自分が歩いてきた道を、こういうふうに考えることはできる。でも、もう喜びはそこにはないのだ。

 「働いても喜びがなければ、行動し、何かを築いても幸福でなければ、それは何の役にも立たない」金曜日の午後、ケケ・ロズベルグに会ったとき、彼は僕にこう言った。

 こうして記者会見を終えた僕は、荷物を下ろしたような気持ちになっていた。実際に決心をしたのはベルギーGPの時だった。モンツァでそれを発表したかったけれど、最終的にはエストリルになった。ジャッキー・スチュワートは僕にこう話していた。「決心するのは難しいし、それを発表するのはもっと難しい。もう、後には戻れないからね。でもすべてが終われば、君はすごく元気になれるよ」ジャッキーが言った通りだった。

 発表の2時間後には、今までの人生でできなかったすべてのことについて考えていた。僕は38歳で、20年間、ほとんど休みなしにドライビングを続けてきたのだ。大きな秘密からひとたび解放されると、目の前の目標、ワールド・チャンピオンに集中することができた。土曜日の午後にはコースアウトをして(これはまっく僕のミスだ)ポールポジション逃してしまったけれど、少なくとも、ほんの少しはその恩を受けることもできた。つまり、デーモンのマシンをドライブした僕は、タイトル争いにおける最大のライバルの力を見積もることができたのだ。
 いいレースができたと思う。シューマッハーはタイトルをかけて走っているのが僕の弱みであることを見抜き、それを利用して追い越しを阻んだ。でも大きな問題じゃない。僕は引退を発表したし、4度目のタイトルを獲得したし、今年の記録に残る重要な1日は終わったのだ。残るふたつのグランプリ、鈴鹿とアデレードで勝利を目指す気持ちは、解放された自由なものだ。(訳・今宮雅子)

(次回は日本GP編を掲載します)