ぶっつけ本番…知識と経験でマシン乗りこなす!
WEC第6戦スポット参戦〜東京本社で奮闘誓う
アスリートの体型を維持する中野。体力・知力をフル回転させて独自のレースキャリアを積み重ねている(カメラ=武藤健一)
アスリートの体型を維持する中野。体力・知力をフル回転させて独自のレースキャリアを積み重ねている(カメラ=武藤健一)
 世界耐久選手権(WEC)第6戦「富士6時間耐久レース」(20日決勝、富士)にスポット参戦するデルタADRの中野信治(42)=オレカ日産=が1日、東京都千代田区の中日新聞東京本社を訪れて奮闘を誓った。F1やインディカーに参戦した華麗な経歴を経て、最近はルマン24時間レースを中心に活動。豊富な参戦経験を生かし、数少ない走行機会でもチームのエース的な働きを見せている。今年のルマンではリタイアに終わったが、富士では昨年に続くLMP2クラス連覇に挑む。

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 東京本社に現れた中野は、相変わらず引き締まった体が目立っていた。「こういう立場(WEC参戦)に立たせてもらっている以上、自分でやれることはやっています。体調管理ができなければプロじゃない」とさらり。身長175cm、体重64kgはF1時代から変わらない。この20年近く、トレーニングを欠かさず、厳しい食事制限を続けてきた。

 最近5年は年に1〜2戦の参戦にとどまっているが、ぶっつけ本番の舞台でチームをけん引する立場に置かれる。車体調整するセッティング能力の高さは折り紙付きだからだ。

 「僕はセットアップシート(車体調整の状態がデータで書かれている書類)を見れば、車体の状態がイメージできるんです。どこの部分をどういじれば、クルマがどう変わるかも」と中野。車体調整を担当するエンジニアとみっちり話し込み、どんなクルマでも乗りこなしてしまう。急きょ参戦したアジアンルマン第2戦(9月22日決勝、富士)では、事実上初めてのGTカーに乗り、走り始めは大苦戦も、最後は最速ラップを記録するまでになった。

 中野が理論派になったのには訳がある。「世界に出て行ったとき、僕には爆発的な速さがないのが分かった。その中で戦うには、クルマを論理的に作れるようになるしかなかった」からだ。1997年にプロストGP(01年限りで消滅)から待望のF1デビューを果たしたが、世界中から集まるトップドライバーと互角に渡り合うには、自らの頭脳と五感を研ぎ澄ませ、クルマから得られる情報を数値化するヘッドワークが必要になった。

 その努力はその後の米CARTおよびインディカー(00〜03年)で大きな力となり、05年から挑戦を開始したルマン24時間で花開く。毎年のように違うチームでぶっつけ本番の挑戦を果たすが、常にエースの働きを果たしてきた。事実、昨年のWEC富士大会では初めて乗り込んだデルタADRを引っ張り、見事LMP2クラスの優勝に導いている。

 「今年もとにかく全力を尽くしたい。今のP2クラスはF1のテストドライバーやインディカーなどの有力選手がひしめく大激戦。簡単じゃないでしょうが、応援していただいている人たちの前で走れる数少ない機会。良いレースがしたいですね」と中野は言い切る。LMP1クラスがメーカー系チームの対決なら、LMP2クラスは有力チームが若くて生きの良い選手を登用する超大激戦区。そう簡単に結果を残せるわけでないことは重々承知だが、中野は今まで培ってきたもの全てを出し尽くす覚悟だ。(田村尚之)

 ▽中野信治(なかの・しんじ)
 1971(昭和46)年4月1日生まれ、42歳。大阪府出身。全日本F3000、F・ニッポンなどを経て、97、98年にF1参戦。プロスト、ミナルディから33戦に出場、2度の入賞(6位)を果たした。00−03年は米国でCART、インディカーに参戦(最高4位)。ルマン24時間には05年から毎年(09、10年除く)挑戦し、最高位は11年の総合14位。昨年の富士6時間にデルタADRから参戦してクラス優勝(総合8位)。